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食の街道 その4 〜米の道〜 [フランスのグルメ]

 シリーズ四日目は「米の道」です。

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 今回は、フランスの米の半分以上を生産している、カマルグと呼ばれる、アルルとサラン=ド=ジロー(Salin-de-Giraud)の間にあるデルタ地帯を訪ねます。

Paris_Camargue.jpg

 Camargue_map.jpg

 米がフランス南部に入って来たのは13世紀末になってからと考えられています。様々な書物から、14世紀から16世紀までプロヴァンス地方に水田が広がっていたことが確認されています。フランス王アンリ四世(当ブログのPoule au potという料理で登場しました)は、シュリー大臣の勧めで、カマルグに稲作を始めるように命令を出しているそうです。


 その後、稲作は19世紀末になってカマルグで再開されます。しかし、これも稲作が目的ではなく、塩を含んだ不毛の土地を改良し、別の農作物の栽培(たとえば葡萄栽培)を行うための準備としての役割を担っていました。

 ところが第二次世界大戦中の海上封鎖による食料や飼料の不足で、代用食として米が食べられたため(皮肉なことに日本では米不足で、小麦粉でパンを作って食べていた人々もいたようです)、この地域での稲作がにわかに活気を見せます。それとともにインフラの整備も行われ、稲作はカマルグやその周辺の農業として定着して行きます。60年代に一度衰退を余儀なくされますが、インディカ米(縦長の米)を中心に復活し、現在ではAOCも獲得して、数種類の米を生産しています。


 では、カマルグのたわわに実った稲と収穫の様子をご覧ください。(フランスでも米を作っているとは聞いていましたが、今回映像で見るのは初めてです。できれば田植えが見たかったのですが.....)

 

 映像は→こちら

(これは2009917日に放送されたものです)


 この辺りは湿地帯のせいもあって蚊が発生するようで、映像にもあるように車を走らせるとフロントガラスに大量の蚊がぶつかってくるそうです。


 レストランでは丸い形のお米を使ってピラフを作っていましたが、この丸いお米が60年代にイタリアから安価で流入して来たため危機的状況になります。この時、縦長のインディカ米の生産を増やすことで危機を乗り越えたのだそうです。


 フランスでのお米は料理の付け合わせとして出てきますね。どちらかというと「豆」に近い感覚なのかもしれません。ねばねばのお米に慣れた日本人にとっては、最初は違和感がありますが、そのうちこのぱさぱさのお米がおいしく感じるようになってきます。むこうのソースに良く合います。


 次回は「コンテの道」。もちろんチーズのコンテです。

 



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