アルデンヌ県を巡る旅 その4 〜ランボーとヴェルレーヌ〜 [シャンパーニュ地方]
シリーズの四回目は、アルデンヌ県にゆかりのある詩人ランボーとヴェルレーヌの足跡を訪ねます。
17歳のランボー
詩人アルチュール・ランボーは、1854年、アルデンヌ県のシャルルヴィル(現在の県庁所在地シャルルヴィル=メジエール(Charleville-Mézières))で生まれました。従って、ここにはランボーにゆかりのある場所がいくつかあります。
映像をご覧いただく前に、少し説明を。(登場順です)
まずシュフィイ=ロシュ(Chuffilly-Roche)。ここには、母親の農場があり、ランボーもたびたび訪れたそうです。そして、ここで「地獄の季節(Une saison en enfer)」と「酔いどれ船(Le Bateau ivre)」を書いたとされています。特に「酔いどれ船」は、近くにあったロシュの貯水池(Lavoir de Roche)で発想を得たのではないかと言われています。
ランボー生誕の地シャルルヴィル=メジエールには彼の記念館(Musée Rimbaud)があります。ここでは、書簡、家族の肖像写真、本人の身の回りの品々、詩「母音のうた(Voyelles)」のオリジナル原稿などを見ることができます。
ヴェルレーヌ
ある時期ランボーと恋愛関係にあったとされる詩人ヴェルレーヌもアルデンヌですごした時期があります。1880年、ジュニヴィル(Juniville)にある借家で暮らし、その向かいにあった宿屋"Lion d'Or"で「叡智(Sagesse)」を完成させたと言われています。現在は、この宿屋が修復され、ヴェルレーヌ記念館(Musée Verlaine)になっています。ここでは、ヴェルレーヌが使った品々や家具を見ることができます。
映像は→こちら
尚、映像には出てきませんでしたが、シャルルヴィル=メジエールでは、記念館の他に、ランボーが家族とともに暮らしていた家が一般に公開されているそうです。
ランボー記念館:開館 月曜日以外の毎日
10:00~12:00 12:00~18:00
ヴェルレーヌ記念館:開館 5月1日〜10月末 月曜日以外の毎日
10:00~12:00 12:00~18:00
URL: http://juniville.free.fr/(仏語のみ)
最後に、ランボーは二十歳そこそこで詩を書くことをやめてしまい、その後は海外を点々としながら暮らしますが、最近になって、イエメンのアデンで1880年に撮影されたとされる写真に写っている姿が発見されました。
向かって右から二人目がランボーとされる人物 拡大
専門家が長い時間をかけて鑑定した結果、ランボーだと断定したのですが、これにも議論があります。
「私は小学校の教師をしています。今日、生徒が書いた詩を添削したのですが、ある生徒がこんな詩を書いてきました。 『先生はいい人、でもすぐバツを与えます。先生はいい人、でもきびしすぎます。先生はいい人、でも面白くありません。ああ、そうだよ、完璧な人などいないんだよ』」
1800年代後半は、色々な文化が興隆した時期ですね。
詩も、絵画も…時代の流れとは裏腹に。
詩はその言葉をもっとも美しく聞かせる表現芸術の一つだと
思います。音の繋がり、余韻。
by orange (2010-11-15 23:33)
orangeさん
この時代の詩人ってどういう存在だったのかなとか、ランボーは二十歳を過ぎてインスピレーションをなくしてしまったのかな、なんて考えたりします。
日本には谷川俊太郎さんという、年をとっても素晴らしい詩を書く詩人がいますね。
by carotte (2010-11-16 23:59)
ランボーはそんなに早く詩作をやめてしまったのですか!早熟だった分、早い時期に才能を燃やしつくしちゃったんでしょうかね。ヴェルレーヌと恋愛関係にあったとは知りませんでした。それを知った上で番組を見ていると、二人が並んで描かれている看板が妙に意味深に見えるから不思議です(笑)。
by opas10 (2010-11-21 12:49)
opas10さん
青春時代にすべての詩作が集中してしまったみたいで、21歳になるかならないかぐらいから詩はいっさい書いていないようです。
語学の才能にめぐまれていたらしく、英語、ドイツ語、さらにはアラブ語までも使いこなしたようです。あちこち放浪している間に身につけたのかもしれません。
アルデンヌの人たちはランボーとヴェルレーヌの関係(恋愛関係)をあまり認めたがらないそうです。
by carotte (2010-11-21 23:12)