ミュージアムを巡る地方の旅 その4 〜権力者の絶頂と失墜を知る島〜 [フランスのお宝]
ビスケー湾のおへそのように見えるエクス島の人口は220人ほど。
1806年、皇帝となったナポレオンは、この島を防衛の要所とし、4,000人の部隊を駐屯させるように命じます。そして、その2年後、自ら現地視察にやってきます。権力者として絶頂にいた時のことでした。
ナポレオンが島の中に作らせたリエドの要塞
それから約10年後の1815年7月、ワーテルローの戦いに破れたナポレオンは皇帝の座を手放し、自らがこの島に建てた“司令官の家”でフランス最後の7日間をすごしました。ナポレオンはここからアメリカに渡ろうと考えていましたが、当時、海上封鎖していた英国艦隊を突破することはできず、自分の政治生命が終わってしまったことを悟ります。そして、英国あてに降伏状をしたため、英国の戦艦ベレロフォンに投降します。ベレロフォンはナポレオンを乗せ英国へと向かいますが、上陸を許されず、最後はセント・ヘレナ島へ配流されてしまいます。(結局、「捕虜」ではなく「戦犯」として裁かれてしまったということでしょうか......)
このナポレオンがすごした最後の家は、現在ナポレオン博物館(Musée napoléonien)になっています。ここには、ナポレオンが英国あて降伏状をしたためた部屋が残されています。この手紙を託されたのが側近だったグルゴー男爵でした。グルゴー男爵はセント・ヘレナ島までナポレオンに付き添った人物ですが、そのひ孫が1926年にこの家を博物館に改修し、1928年に一般公開したそうです。
ナポレオン博物館
映像は→こちら
孫のナポレオン・グルゴー男爵は、ナポレオンが最後にすごした家を保存すべく、裕福だった妻の財産で“司令官の家”を買取り博物館にしました。また妻ともども、この島の魅力に引きつけられ、他にも空き家になっていた建物を買取り、自分たちがアフリカ旅行で集めて来たものを展示するためにアフリカ博物館を作りました。
現在、この2つの博物館は国の所有になっています。
「今日、ロンドンの蝋人形館に行った。ナポレオンの人形に目を奪われていると、突然、別の人形が倒れ込んできたので、思い切りつかむと、なんと本物の人間だった。相手は、仰天していた」
いつもご訪問&niceありがとうございます。
そして毎回コメントを残して頂いてありがとうございます。
大変うれしいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
by ヒロ (2010-12-01 10:39)
ヒロさん
こちらこそ、ご訪問ありがとうございます。
よろしければまたどうぞまたお越し下さい ^^
by carotte (2010-12-01 18:24)
フランスは、イフ島にしか行ったことがありません。
フランスにも、いっぱい島があるようなので、今度渡ってみたいです。
by 島酔潜人 (2010-12-02 00:03)
島酔潜人さん
ブルターニュ地方にたくさん集中しているそうです。
地中海にも点在してますね。
私はまだフランスの島には行ったことがないので一度行ってみたいです。
by carotte (2010-12-02 09:53)
やはりフランス人にとってナポレオンというのは特別な存在なのですね。愛憎のどちらが強いのでしょうかね?
by opas10 (2010-12-05 17:15)
opas10さん
どうなんでしょうね。
ナポレオンが作った教育システムなど、今も踏襲されてる部分がありますから、評価は低くはないでしょうね。
by carotte (2010-12-05 21:44)