パリ近郊の小さな村 その5 〜 アーティストの村 〜 [イル=ドゥ=フランス地方]
シリーズの最後は、フォンテーヌブローからさらに西へ移動したガティネ地方と呼ばれる地域にある2つの村を訪ねます。
下記地図の紫色の印のあるところです。
広大な麦畑のそばを流れるエコール川。この川沿いにある村の一つがスワジ=シュル=エコール村(Soisy-sur-École)です。人口は1,300人ほど。
狭い通りに砂岩で作られた家が並んでいます。ガラス工芸が村の産業の一つです。
この近くのフォンテーヌブローで取れる高純度の砂がガラス工芸に適しているのだそうです。この村の工房では若い職人が活躍しています。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(2011年5月20日放送)
ガラス工房Verrerie d'Artは、1978年に設立されました。しかし、そのルーツをさかのぼると、1475年にすでにこの地にあったガラス工房La-Rochèreに行き着くそうですから、500年以上の歴史をもつ工房ということになります。
責任者のマリー=アリスさんは、パリからも近いのでアトリエに来てもらうのに便利だし、それでいて田舎の味わいがあり、小さいながらも美しい村なのでこの地を選んだとおっしゃっていました。
この村からエコール川沿いに南に5キロほど下ったところには、広大な庭を持つクランス城(Château de Courances)(上記地図の紫色のピン)があります。
城は17世紀に建てられ、18世紀に現在のようなスタイルになったそうです。そして、広大な庭はフランスで最も美しい庭の一つと考えられています。
ルネッサンス様式の美しい城をあとにして、さらに、川沿いに7キロほど南下すると、ミイ=ラ=フォレ村に到着です。
目を引くのは、木造の屋根を持つ市場。1479年に作られたそうです。
村の人口は4,700人ほど。ここにはクリスチャン・ディオールが住んでいたことがあるそうです。そして、ジャン・コクトーが晩年の16年をすごした村としても知られています。
コクトーが住んでいた建物は、現在、記念館Maison Cocteauになっています。
コクトーは1963年、友人のエディット・ピアフの死を知らされた直後に心臓発作で亡くなります。彼の亡骸は、この村のサン=ブレーズ=デ=サンプル礼拝堂(Chapelle Saint-Blaise-des-Simples)に埋葬されています。礼拝堂にはコクトーの絵で装飾が施されているそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、私は美術学校の学生です。母の誕生日プレゼントに大きな抽象画を描いて贈りました。二ヶ月もかけた大作です。ところが、なんと母は『すてきな絵ね。ありがとう』と4歳になる弟に言ったのでした」
VDM (Vie de merde)より
抽象画に対する一般的な印象は、洋の東西を問わず同じなのですね。
by アヨアン・イゴカー (2011-05-27 00:10)
アヨアン・イゴカーさん、こんばんは。
はい、そのようです。
抽象画は、子供の落書きとの違いを見極めるのが難しいですね。
by carotte (2011-05-27 20:20)
大屋根の市場、日本では応仁の乱の時代からあるんですね!驚きです。そしてガラス工房は本当に若い職人ばかり。ここの伝統工芸は未来がありますね。
by opas10 (2011-05-29 14:03)
opas10さん
応仁の乱と言われると、相当古いというのが実感できますね。
パリからこんなに近いところで、田舎の雰囲気を味わいつつ仕事ができるというのはいいですね。
by carotte (2011-05-29 18:00)