ヴォージュ温泉めぐり その5 〜 ヴィッテル 〜 [ロレーヌ地方]
シリーズの最後は、ミネラルウォーターでお馴染みのヴィッテル(Vittel)。
下記地図の紫印のところです。
ヴィッテルの人口は約6,000人。
最初にここの鉱泉を発見したのはローマ人ですが、ミネラルウォーターVittelの歴史は、1854年、ルイ・ブルーミエという男性が源泉を買い取ったことから始まります。
ブルーミエは、ルイ・フィリップ一世時代に王の検事代理を務めるほどの人物でしたが、その後、皇帝となったナポレオン三世から要注意人物とされ、国外追放の憂き目にあいます。
一時、バルセロナで暮らしますが、重病をわずらいフランスに戻ることが許されます。そして、厳しい監視の中、前回登場したコントレクセヴィルに何度か療養に通ったそうです。
1854年、ブルーミエはヴィッテルの源泉と0.8ヘクタールの土地を購入し、鉱泉をボトルにつめる施設を完成させます。1857年、ヴィッテルの水は陶器の瓶につめられ販売されます。病人が自宅で療養できるようにするためでした。
ブルーミエは1869年に亡くなりますが、その後、会社は4世代に渡ってブルーミエ一族に継承されていきます。その間、陶器だった瓶はガラスに代わり、生産ラインも近代化され、1903年当時、年間300万本の生産が、1951年には1億本にまで増加します。
1992年にネスレ社に買収されてから、現在の生産量は年間9億本だそうです。
いわゆる湯治場としての開発は1845年頃から始まっていますが、さらに発展を遂げたのは、1968年に地中海クラブが設置されてからのこと。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(フランスTV局TF1で2011年5月27日放送)
ここを訪れる人たちの目的は病気の治療から単なる休養を兼ねた観光まで様々です。
650ヘクタールあるという緑に覆われた敷地には、ゴルフ場、テニスコート、プール、競技場などのスポーツ施設もあります。
また、ヴィッテルには19世紀後半から20世紀前半にかけて作られた建築物があることでも知られています。
1887年には、あのパリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)を設計したシャルル・ガルニエがカジノと湯治施設を作りました。
鉱泉の出ている水飲み場の男性は、50年前に購入した目盛り付きのグラスで水を飲んでいました。今ではもう手に入らないグラスだそうです。
また、この施設では、プールでのエクササイズ、入浴やシャワー療法、マッサージが受けられます。また、泥を使った療法もあります。泥の中のミネラル分が直接肌を通して吸収されるそうです。
そして、リラックスルームからは、あのブルーミエが建てさせた、鉱泉の瓶詰め工場の美しい建物を見ることができます。
施設の回りに広がる緑地は有害物質が混入しないように管理されているそうです。
ヴィッテルは緑に囲まれた健康的な場所で、肉体を整え、さまざまな娯楽も楽しめるという町のようです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、僕は建築学校の学生です。昨晩徹夜で作った模型を持ってバスに乗ったら、ドアが早く閉まりすぎて、模型はぺしゃんこに」
VDM (Vie de merde)より
nice ありがとうございました。
ブログを楽しみましょう。
by kawasemi (2011-06-02 17:00)
kawasemiさん
こちらこそ、nice!とコメントありがとうございます。
by carotte (2011-06-02 19:51)
リラックスルームで音楽を聴きながらあの美しい建物を眺めると・・・どんな病気も体から出て行ってしまうような気がしますね。泥は見るからに体に良さそうな色(笑)
by opas10 (2011-06-05 14:02)
opas10さん
リラックスルーム、いいところに作りましたよね。
瓶詰め工場は見た目に美しく、単なる実用一点張りの建物にしないところがいいですね。
by carotte (2011-06-05 20:45)