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藤田の作品が寄贈される [シャンパーニュ地方]

 先月末、藤田嗣治の作品663点がランス美術館に寄贈されたそうです。


 そして、美術館ではこれらの作品を展示するための準備が始まりました。


Paris_Reims.jpg

 下記ウィンドウのをクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2013年4月6日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら




 作品は、油絵を始め、デッサン、クロッキー、エスキスなど様々です。


 中には藤田がパリに来て9年目に描いた自画像もあります。日本画風ですね。


 寄贈されたものすべてを整理・分類する作業はなかなか大変そうです。


 藤田がフランスでキリスト教の洗礼を受けたことはよく知られていますが、その時の洗礼名がレオナール(イタリア語ならレオナルド)。


 あのレオナルド・ダヴィンチを崇拝していた藤田がこの名前を洗礼名にしたのだとか。


 寄贈品の中には宗教画も含まれています。


 そして、フランスで活動していた画家たちの影響が色濃く表れている作品もあります。


 セザンヌのような風景画、ゴーガン風の人物画やデッサン、そしてキュビズムの影響も認められます。


 「藤田はピカソ、ルソーなどと付き合いがありました。そして古典主義に傾倒していた画家でもあります。彼がフランスで活躍した1920年代は自由だった時代です。創造的な作品もあれば事実をそのまま描いた作品もあり、すべてが許された時代でした」と学芸員の方。


 ランスには、藤田がシャンパンの蔵元で責任者をしていたルネ・ラルの支援を受けて作った礼拝堂ノートル=ダム=ドゥ=ラ=ペ、通称フジタの礼拝堂があります。


 ステンドグラスも壁画も藤田の手によるもの。


 「最後の3ヶ月間は、イタリアのフレスコ画家と同じように、壁画ばかり描いていたそうです」


 寄贈された作品の一部が、美術館2階の一室に15世紀〜20世紀の作品とともに近々展示されることになっています。


 そして、2018年に開館予定の新しいランスの美術館には、240平米もの広さの一室に藤田専用の展示室ができるそうです。




******** フランス人のつぶやき *******

 

 

「今日、友人の新しいアパートを訪ねた。まだあれこれ手を入れなくてはならないらしい。そこで僕は言った。『この壁の色は絶対塗り直した方が良い』すると友人が言った。『あのお〜、そこは触らないで。ペンキ塗り立てだから」

 

VDM (Vie de merde)より




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コメント 8

rabbit

ありがたいことです・・さすが芸術の都、大事に扱ってくれますね。
by rabbit (2013-04-07 11:23) 

ネオ・アッキー

carotteさんこんばんは。
Reimsに行った時に、藤田礼拝堂を見学しようと思ったのですが、帰りの急行(現在ではTGVが走行しているようですが)の時間が気になって途中でひきかえしてきてしまった事を思い出しました。 もう一度シャンパーニュ地方に訪れてみたいと思っています。
by ネオ・アッキー (2013-04-07 18:46) 

yuzuhane

フジタの洗礼名レオナールはおっしゃるようにレオナルドを意識したものだそうですが、彼のなかではヨーロッパ絵画のすべてに対する尊敬の念からその最高峰の名前をとも言われているようですね。これを持って不遜だというう評もあったようですが、死の2年前、79歳で、ヨーロッパ絵画のすべての技法のうち残るはフレスコ画のみだと挑戦したという話には心打たれるものがあります。そのフジタチャペルいつか訪れてみたいと思っています。
by yuzuhane (2013-04-07 21:50) 

opas10

フランスという国には、才能があれば国籍など関係なく認めてくれる懐の深さがありますね。
by opas10 (2013-04-10 22:47) 

carotte

rabbitさん
専用の部屋まで作ってくれるそうですから良かったですね。そして、わりに面白い作品が見られるみたいです。
by carotte (2013-04-11 23:02) 

carotte

ネオ・アッキーさん
私もまだTGVが走っていない頃にランスには行ったのですが、藤田の礼拝堂は残念ながら見学しませんでした。ランスは今はもう通勤圏内になってるようですから、往復はだいぶ楽らしいですよ。私も次に行く機会があったらぜひ礼拝堂を見てみたいです。
by carotte (2013-04-11 23:05) 

carotte

yuzuhaneさん
あれだけのフレスコ画を高齢になってから一心に描いていたというのはなにか大きな心境の変化みたいなものでもあったのでしょうかね。絵描きとしての才能もあったのでしょうけど、パリの人たちと付き合うのがうまかった上に洒落男だったようで、皆に受けがよかったようです。そういう人物が晩年に自分の礼拝堂を建ててフレスコ画を延々と描いていたというのがちょっと不思議で興味をそそられます。
by carotte (2013-04-11 23:11) 

carotte

opas10さん
フランスはそういうところがありますね。パリに集まって来た才能のある芸術家はわりに外国人が多いですし、今でも国籍に関係なく建物の設計などやらせてますね。
by carotte (2013-04-11 23:14) 

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