ヴォーバンの要塞 その5 [フランスのお宝]
シリーズの最後は、フランス北西部ノルマンディー地方にある2つの要塞を訪ねます(下記地図の紫とピンク印)
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2013年9月13日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
1692年、この辺りの海域で、イングランドとオランダの連合艦隊と、フランス艦隊との戦闘が勃発。
残念なことにフランス艦隊は敗走してしまいます。
この時の戦いを踏まえて作られたのが2つの要塞です。
一つは、サン=ヴァー=ラ=ウーグ(Saint-Vaast-la-Hougue)の岬の先端にあるウーグの要塞。
もう一つがタティウ島にあるタティウの塔。二つは向かい合うように作られています。
「この辺りを航行していると、まず目に入るのがタティウの塔です。ウーグの要塞は見えません。油断をしてこのまま前進したところで、ウーグの要塞から大砲の弾が飛んで来きます。引き返そうにもこの段階ではタティウの塔が後方に控えています。結局、無事にここを通ることはできないというしかけになっているのです」とコーディネーターの女性。
タティウ島は小さな島ながら、年間60,000人もの観光客を受け入れています。
島の岬にあるのが、ヴォーバンが考案した塔です。
高さ20メートルの塔は、まるで島の見張り番のよう。
三階建てで、一階が火薬庫、二階が80人を収容できる宿舎、三階に10門の大砲が設置されていました。
塔の回りは鳥の繁殖地で保護区になっています。
ボートに乗ってサン=ヴァー=ラ=ウーグの港に戻ると、海にせり出した岬の突端に塔が見えます。これがウーグの要塞です。
「修復されたおかげで、この辺りは徒歩で散策するのに理想的な場所になりました」
塔の上に上がると、美しい風景が待っていました。
「ここで戦いが行われたかと思うと、実感が湧いてきます。フランスの歴史を再認識できますね」と男性観光客。
「この地域はイギリスににらみを利かせるために作られましたが、今ではイギリス人に観光に来てもらうためにがんばっています」と観光事務所の女性。
夕方6時。潮の引いた海岸を、車に早変わりしたボートが、たった一人のお客さんステファンさんを乗せて、タティウ島に向かって走ります。
引き潮で島は陸続きになります。
ステファンさんは夜勤で今晩は島にお泊まりです。
夕方には塔の見学も終わり鍵がかけられます。
ライトアップされた塔は西洋ならではの眺めでした。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、エッフェル塔から落ちて来たお菓子のゼリーで、メガネのレンズが壊れた」
VDM (Vie de merde)より
これまた二つの施設がセットになって実行するわけですね、さすが欧州の軍事思想はスケールが大きい。日本の歴史で、こうした仕掛けを考えられるのは秀吉、その真価をちゃんと理解できる参謀は日露戦争の児玉源太郎くらいですね。
by opas10 (2013-09-29 20:51)
opas10さん
四方を敵に囲まれている国は必要にせまられるのかもしれません。昔は日本にもそういう戦略を考えられる人がいたということでしょうか?今は政治も軍もぐだぐだですねえ。
by carotte (2013-10-02 17:27)