パリ マレ地区 その2 [パリ]
シリーズの二回目は、マレ地区の南部を東西に走る小さなロジエ通り(rue des Rosiers)を訪ねます。
ロジエ通りと言えば、ユダヤ人街+商店街です。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年5月16日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
小さな広場で式典が開かれていました。
スピーチをしているのはミロさん。17歳で収容所に送られましたが、こうして生きて帰って来ました。
ミロさんはこの界隈にある学校に通っていたそうです。今日は、その学校の260人の生徒たちが、1942年に収容所に送られた日を記念して式典が開催されました。
「たくさんの人が亡くなったと言いますから、ミロさんは運が良かったんです」と男の子。
「ミロさんは仲間が死んでいくのを見ていたでしょうから、ショックだったろうと思います」と別の男の子。
戦後、自分が生まれ育ったこの場所に戻ってきたミロさん。
「この建物は昔はホテルだったんです。ここの3階で私は生まれました。通りでは新聞売りがイディッシュ語の新聞を売っていました」
ここからすぐのところにあるのがGoldernberg。1982年9月9日のテロ事件で世界的に知られることになりました。
当時はレストランでしたが、現在は洋服屋さんです。
10数年前に食事に行ったことがありますが、洋服屋さんになっていたとはちょっと驚きです。美味しいユダヤ料理を出してくれるお店でした。
テロ事件では6人が亡くなり22人が負傷しました。
当時、現場に居合わせたジルさんは詳細を写真に納めていました。
「通りを横切り建物の2階に上がると、誰かが泣きながら電話をかけているのが聞こえてきました。そのうち、これは反ユダヤ主義的犯行なのだと自覚し始めたんです」
現在、ジルさんの息子夫婦がロジエ通りでパン屋を営んでいます。
「これはユダヤの伝統的なパンでシャバット(shabbat)またはハッラー(Hallah)と言います。この丸いパンもユダヤのパンです」とジルさん。
かつて食べ物を売るお店が並んでいた通りは、今ではファッション街になっています。日曜日もオープンしていて観光客でいっぱいになります。
新しいスタイルのお店もできつつあります。
テルアビブからやってきたというピエールさんは、去年、レストランMIZNONをオープンさせました。
「うちのコンセプトはイスラエルのレストランです」とピエールさん。
伝統料理というより、より国際的に発展したイスラエル料理ということのようですが、パリジャンに人気だそうです。なんだか斬新な食べ方ですね。
ロジエとはバラの木という意味。かつてはバラの木があちこちにあったのでしょうが、今では名前だけが残りました。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、通りでばったり上司と出くわした。バカンスでウチから1000キロも離れているところだというのに・・・」
VDM (Vie de merde)より
ユダヤの受難の歴史が今回のベースですね。そうした重いテーマの中でも、ジルさんのポロシャツに日の丸とJapanの文字が(笑)。最後は、若い世代が新しい歴史を作り始めているので、明るい気持ちになりました。
by opas10 (2015-06-02 23:02)
opas10さん
あの日の丸とJapanには大いに興味を引かれました。^^ ご本人には何か意味があったのか・・・。ユダヤ人の歴史ってちょっと重たい話題ですね。悲惨な過去がありますし。このマレ地区にはドイツ兵が濡れた石畳を車で行き交ったんだろうなと想像させるようなところもあります。
by carotte (2015-06-06 12:16)