フランソワ1世を巡る旅 その2 [サントル・ロワール地方]
フランス国王フランソワ1世の足跡を辿る旅の二回目は、王様が大切にしていた陶器に注目してみましょう。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年7月21日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
アンボワーズ城とジアン城、この二つに共通するものと言えば、ロワール川の岸辺にあること、どちらもルネッサンス期に造られ、フランソワ1世と深いつながりがあること。
そしてもう一つ、忘れてならないのが、陶器です。
重さ100キロほどのこの大きな花瓶は、フランソワ1世の花瓶です。確かに、サラマンダーの装飾が施されています。
この花瓶、ここを出て、アンボワーズ城で展示されることになっています。
割れてしまっては元も粉もありません。念入りに梱包されます。
ジアン(Gien)では19世紀ころから陶器の生産が始まりました。
このような、花瓶、お皿などルネッサンス風の陶器を作っていたそうです。
黄色とブルーの斜めのストライプ模様はフランソワ1世のシンボルだとか。そして、装飾は16世紀のイタリア風に仕上がっています。
さて、梱包された花瓶は2時間後にアンボワーズ城に到着です。
今回、お城では陶器の展示も同時に開催されるそうです。フランスの歴史を身近に感じてもらおうと企画されました。
フランソワ1世について見学者に聞いてみると、皆さん「1515年」と口を揃えておっしゃっていました。
1515年はフランソワ1世が王に即位した年です。どうやらフランスでは必ず歴史で学ぶ事柄の一つのようです。
王様がアンボワーズ城に来たのはまだ4歳の時のことでした。王様になるまでは、このツゥール地方で育ちました。
「1515年1月1日に王様になった時、フランソワ1世は二十歳でした。当時はこのお城に住んでいました」
これが若かりしころの王様の肖像画です。長髪ですね。
そして、こちらが6年後の王様。
あごひげをはやして、髪は短くカットしています。ヒゲは顔の傷を隠すためにはやしたとか。
そして、シンボルマークのサラマンダー。王位につく前からこのマークを使っていたそうです。
「フランソワ1世は、芸術作品や建築物などあらゆるものにこのサラマンダーをマークとして使いました。今でいうロゴのようなものですね」とお城の方。
フランソワ1世の時代はイタリア・ルネッサンスの影響を受けた時代ですが、王様のイメージは様々なようです。
「フランソワ1世は情熱的な人でした。その興味は様々なものに渡っています。そして何より女性が大好きでした」とお城のガイドの方。
やはり女性好きでしたか。そのようなことを歴史で教わったような気もします。ガールフレンドなんかたくさんいたのかもしれません。
さて、陶器の生産で知られるようになったジアンでは、現在、ロワール川沿いのお城を描いた陶器を製作・販売しているそうです。お土産用として売れそうですね。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ボーイフレンドに赤いバラをプレゼントした。すると、花瓶を探すのが面倒だったのか、そのバラを水をためた洗面台にさした」
VDM (Vie de merde)より
ジアンの陶器。懐かしいというか、一番好きな陶器です。今でも、私の洋皿は、ほとんどがこれを使っています。素朴な感じで、安くて。ただ、陶器の中でも、柔らかいので、欠けやすいのが玉にきずです。OISEAUX DE PARADIS というデザインが、ジアンのシンボル的存在のものです。2011年のロワール川紀行のときも、懐かしく、工場の直売場に立ち寄って、見てきました。心安らぐ図柄と触感です。
by huck (2015-07-27 11:32)
huckさん
ジアンの陶器、お持ちなんですね。柔らかいのはこの地方の土のせいでしょうか?図案といい色合いといい古風な感じがしますね。西洋のお皿と言えばこんな感じの陶器をイメージしてしまいます。
by carotte (2015-08-02 15:00)
立体的なサラマンダー、今だとゲームのキャラクターになりそうで、優れた芸術的なセンスをお持ちだったようですね。きっと仲の良い女性も美しい人ばかりだったのかなあ、とウラヤマシく思ったりもします(笑)。
by opas10 (2015-08-15 21:18)
opas10さん
そうですね、サラマンダーはゲームに登場しそうですね。
フランソワ1世は武将というより文化人だったようで、そっちの方面に造詣が深かったようです。そのあたりも女性にもてた要因だったかもしれません。
by carotte (2015-08-23 17:29)