世界の宮殿を巡る旅 その2 [その他の国]
美しい宮殿を巡る旅シリーズの二回目は、ロシアのサンクトペテルブルクへと飛びます。
ここにあるのがエカテリーナ宮殿です。
第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世が夏の離宮として作らせたのが1717年。
以来、歴代の皇帝によって少しずつ手を入れられ、現在のような姿になったのは1756年のことです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局France 2で2015年12月15日に放送)(映像が出てこない場合は、ウィンドウの下の文字をクリック)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
火曜日のこの日、宮殿は休館日。メンテナンスのために毎週火曜日はお休みです。
床磨き、時計の調整、装飾品のお手入など、一斉に作業が始まりました。
これだけの大きな宮殿ですから一日がかりの作業です。
お堀にその姿を写す優雅な宮殿の建物。
第6代ロシア皇帝のエリザヴェータは、当時バロック建築で名を馳せたイタリア人建築家バルトロメオ・ラストレッリに改築を依頼しました。
こうしてできたのが今私たちが目にしている宮殿の姿です。
宮殿の管理責任者アリッサさんが案内してくれたのは玉座の間。
「時が経ってもこの美しさは変わりません。ここだけは常に太陽が輝いています。これはラストレッリがエリザヴェータに捧げた部屋なんです」とアリッサさん。
翌日の開館日には多くの観光客が入場してきました。
最近では欧州やアメリカからの観光客は少なく、中国人が一番多いとか。
この日は、中国の携帯電話メーカーの経営者とその従業員の皆さんが見学に来ていました。
「中国の物がモチーフになった装飾がたくさんあることに気がつきました。ロシアと中国はこの時代から関係が深かったようです。これからも経済発展のためにいい関係を続けていかなくてはならないと思いますね」と社長さん。
これだけ立派で美しい宮殿ですが、第二次世界大戦直後は廃墟同然の状態でした。
そして大戦中、ソ連に侵攻したナチス・ドイツによって、宮殿の宝とも言える“琥珀の間”の装飾が持ち去られてしまいました。
それ以来、琥珀の行方は分かっていません。
しかし、1979年に始まった復元作業でこのように“琥珀の間”が再生されました。
オリジナルと変わらない美しさだそうです。作業員の方が丁寧に手入れをしています。
「今は誰も略奪したりはしませんよ。ただ、暖房のせいで剥がれてしまうんです。皆、触りたがるんですよ。特に中国人はね。でも、彼らは琥珀が貴重だということはわかってるんです」と作業員。
因みに、琥珀の間の修復のために資金を提供したのはドイツだそうです。
手入れが必要なのは庭園の彫刻も同じです。
冬の間、こうして布をかぶせ、箱で覆ってしまいます。
「水に濡れると良くないんですよ。水が大理石の中に染み込み凍ると、彫刻がボロボロに崩れてしまうんです」
ペテルブルクの冬の気温はマイナス30度にもなるそうです。
庭園には60体ほどの彫刻があり、春が来るまで箱の中で過ごすことになります。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、5月5日、やっと休日になり時間ができたのでクリスマスの装飾を取り外した。」
VDM (Vie de merde)より
ドイツはきちんと過去の清算に向き合っているのですね。となると中国も琥珀の「接触料」を払わないと(笑)
by opas10 (2016-01-01 20:22)
opas10さん
そうみたいですね。大戦中に色々やらかしてますから精算が大変です。展示物にやたらと触ってはいけないというのは結局は教育の問題ですよね。そのうちやらなくなるでしょう。
by carotte (2016-01-02 20:49)