週末はコンピエーニュで [パリから週末旅]
日曜日は恒例の週末旅。
今回は、パリから60〜70キロほど北東に行ったところにあるコンピエーニュ(Compiègne)を旅します。
車なら高速を利用して1時間20分、列車なら1時間足らず。気軽に日帰りもできるくらいのところにあります。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2017年2月25日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
本日の観光の足はこれ。キックスケーターです。
古い建物の並ぶ通りを散策するには最適の乗り物。半日のレンタルで8ユーロ。
ただいま朝の11時。時計代わりの市庁舎の鐘がなります(上記地図の青印)。
面白い仕掛け時計ですね。16世紀からずっと三人の男が代わり代わりに鐘を叩いています。
「これは当時、フランスの敵国だったイングランド、フランドル、ドイツの3つを表しています。そして『三人のピカンタン』と呼ばれています。pique le temp(ピク・ル・タン)(時を打つ)が早口になって『ピカンタン』になったのです」と観光ガイドのギヨームさん。
次はちょっと離れた場所に向かいます。凸凹の石畳に難儀。
こうしてたどり着いたのが、コンピエーニュ城です(赤印)。
ネオクラシックの立派な宮殿は1788年、革命の前年に完成しました。
革命時には他の王宮と同じように売却されてしまいますが、嵐が去った後、再び国家元首の住まいとなります。
誰がここに住んでいたかというと・・・あちこちに刻みつけられたこの「N」のマーク。そう、ナポレオン1世でした。
「ここはナポレオン1世の寝室です。彼が革命後にこの宮殿を修復し、家具を備えさせました。そして、お城は皇帝用の宮殿になったのです」と学芸員の方。
ナポレオンが二人目の妻となるマリー=ルイーズ・ドトリシュと初めて会ったのもここでした。
この広大な庭を散歩しながら恋に落ちたのでしょうか?
「ここにこのように大きな舞踏の間を作ったのはナポレオンでした。この天井には彼の勝利を記念した絵がはめ込まれています」
さて、そろそろお昼の時間です。宮殿の庭の向こうに広がるコンピエーニュの森。その中にあるレストランAuberge Daguetに向かいます(オレンジ印)。
ここのスペシャリテがこれ。イノシシの肉のソテー、ブダン、鹿の肉の盛り合わせ。
これまでの週末旅でも一番豪華な食事に見えます。
ボリュームたっぷりの食事を済ませた後は、腹ごなしに公園を散策(緑印)。ここにはかつて修道院がありました。その回廊の一部がこうして残されています。
そろそろ今晩の宿へと向かいましょう。
森の中のキャンプ場Le Coeur de la Forêt(こげ茶印)にあるちょっと変わった建物がその宿。
“ホビットの家” と呼ばれています。キッチンやリビングもあって長期滞在もできそうです。
「完璧な静けさの中で過ごすことができますよ。それに安心してリラックスできます」とキャンプ場の方。
寝室は2つ。バスタブ付きのお風呂もあります。これで一人一泊80ユーロ。
翌日は広大な森を横切り歴史的記念の地へ向かいます。
ここは第一次世界大戦の休戦協定が結ばれた場所です(紫印)。
休戦協定は1918年に列車の客車の中で調印されました。
この客車はアルミスティス号(Wagon de l’Armistice)(休戦の客車)と呼ばれ、ここに展示されています。
とは言っても本物は残念ながら破壊されてしまいました。中は当時の様子が再現されています。
さて本日の旅の費用は、キックスケーターのレンタル代が8ユーロ、コンピエーニュ城の見学代が7.50ユーロ、昼食代が33ユーロ、宿泊代が80ユーロ、休戦協定記念館が5ユーロ、締めて133.50ユーロ(約16,000円)でした。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ナンシーからマルセイユまで列車に乗った。2時間ほどしてぐっすり眠り込んでしまった私を年配の女性が叩き起こして、隣に座っていいかと言う。客車には他に誰も乗っていないのに・・・」
VDM (Vie de merde)より
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