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ノルマンディーのピカソ [トピックニュース]

 昨日は雨がよく降りました。おかげで洗濯物は乾かず。

 東京の水がめの方はどうかと言えば、相変わらず減少気味。

 前日に比べると2%減の64%です。

 今週の日曜日あたりからどうも雨の日が多くなるようなので水がめも少し増えるといいのですが・・・。

 さて本日は、あのピカソが一時期暮らしたというノルマンディーのお城を訪ねます。

Paris_Gisors.jpg



下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 3で2017年6月16日に放送)

映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。


 これがそのボワジュルー城(château de Boisgeloup)です。

 ピカソにとって誰にも邪魔されず静かに暮らせる隠れ家のような場所でした。

 暮らしていたのは1930年から35年の5年間。

 この白黒映像でもわかるように、息子のポールや妻のオルガと一緒でした。

 一見したところ、家族団欒の平和な暮らしに見えます。

 「パリからは車でほんの3時間という至近距離にありながら、喧騒の都会から逃れて家族やごく親しい人たちとのんびり過ごせる場所だったのです」と関係者の方。

 家族団欒とは言うものの、その頃のピカソにはマリー=テレーズという若い愛人がいました。

 愛人が17歳でピカソは50歳。

 そしてピカソはマリー=テレーズをモチーフに100点ほどの作品をここのアトリエで制作しました。

 「ピカソにインスピレーションを与えたのがマリー=テレーズでした。彫刻にも絵画にもそれがよく表れています。おかげでピカソはまた新しい芸術の表現方法を発見したのです」

 それから82年後のボワジュルー城は当時とそれほど変わってはいません。

 正面玄関前には改修の終わったピカソの愛車イスパノ・スイザが止まっています。

 現在、このお城で暮らしているのはピカソの孫にあたるベルナール・ピカソさんとその奥様です。

 ご夫妻がアトリエだった場所に案内してくれました。

 「1930年にこの建物を購入してすぐの頃、母や祖母は建物の掃除や修復に忙しかったようですが、ピカソは制作に没頭していました」とベルナールさん。

 壁に彫った跡が残っていて、これもまた貴重なピカソの作品になりそうです。

 このボワジュルー城時代に制作され、一般にはあまり知られていない作品をルーアン美術館で見ることができます。

 全部で200点ほどあるそうです。展示は今年の9月11日まで。



******* フランス人のつぶやき *******


今日、彼の家族と食事をした。彼のお祖父さんは私の名前をなかなか覚えられず、結局、私のことを “新人さん” と呼ぶことにしたようだ・・・


VDM(Vie de Merde)より


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