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ペリゴール地方 その2 [ペリゴール地方]

 東京の水がめ、増量に転じて80%に回復しました。

 ちょっと驚きました。この週末で大量の雨が降ったようです。

 水曜日の未明には関東地方を台風が通過するようなのでさらに水量が増えそうです。

 被害が出ることなく無事に台風が通過してくれることを祈ります。

 さて、7月1日に始まったツール・ド・フランス。本日は第4ステージで、ルクセンブルクのモンドルフ=レ=バンからフランスのヴィテルまでの207.5キロを走るようです。

 今回のシリーズで紹介しているペリグーからベルジュラックは第10ステージで、7月11日に行われる予定です。

 では、そのシリーズの第二回目をみることにしましょう。

Paris_Perigord.jpg


下記写真をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France2で2017年6月27日に放送)(今回はなぜかビデオの埋め込みができませんでした。写真をクリックすると別のウィンドウが開いてビデオを見ることができます)

Perigo.jpg

 まずは前回の復習から。

 田園風景の中を走るツール・ド・フランスの一団。その姿を白い画用紙に描いているのがジャン=ミッシェルさん。

 そしてサルラからやってきた自転車ツーリングのグループがツール・ド・フランスの第10ステージと同じコースを辿って走ります。

 ペリゴール地方には “1001”のお城があると言われています。

 あの五人組が走り抜けていった道の丘の上にもお城が見えていました。コースを外れてちょっと寄り道したくなります。

 「それだけの価値があるよね」とツーリングの方々。

 岩盤の上に建てられたお城、森の中にひっそりと立つお城、どのお城もずっしりと重い石で要塞化されています。

 その多くがイングランドとフランスが戦った百年戦争(1337〜1453)のために作られたものです。

 この地方を流れるドルドーニュ川を境に戦いが繰り広げられました。

 こちらは前回登場したコマルク城。案内してくれたのはこのお城を建てた一族のご子孫で、今の城主。

 お城の下の洞窟は先史時代から人の住居として使われてきたそうです。

 ということは、洞窟も含めればこのお城には15,000年の歴史があるということになりそうです。

 「下は先史時代で上はローマ時代です。この洞窟では幾つかの家族が家畜と共に共同で暮らしていました。上に見張り番がいて、下で暮らす住人たちを守っていました」とご子孫。

 ローマ時代のお城は要塞化され16世紀頃までお城としての役割を果たしていましたが、その後は放置。

 修復前は大きな木々の中にかろうじてお城らしきものが見えているだけでした。

 「両側の壁全体が土に埋もれていました」

 ここまで修復するのに相当な時間と労力がかかったようです。

 しかし、この城はそれほど手が加えられておらず、800年ほど前のまま残っている箇所が数多くあるそうです。

 こちらは地上60メートルのお城の塔。ぐるりと見渡しても周りはすべて森。

 「ここへ来ると昔のことをいろいろ想像してしまいます。昔なら私もこのお城の王様ということになりますからね(笑)」

 さて、前回も登場した画家ジャン=ミッシェルさん、今日も創作に励んでいらっしゃいます。

 熟練のミュージシャンが即興で音楽を奏でるように絵を描いていきます。

 マイヨジョーヌの黄色は複雑な色だと言います。最後のワンタッチで、風のように通り過ぎる選手の姿が見えてきました。

 さて、最後に登場したこの男性。この重々しい衣装は・・・例のコンフレリです。

 地元の特産品をアピールするために作られた組織コンフレリ。地元の特産品とは・・・。

 続く・・・



******* フランス人のつぶやき *******


今日、おばあちゃんの100歳の誕生日。ろうそくの火を吹き消すとおばあちゃんが言った。『で、今日は、一体、誰の誕生日なんだい???』


VDM(Vie de Merde)より


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