自由の炎 [パリ]
東京駅の八重洲口の地下街に、東京キャラクターストリートというのがあり、テレビ局ショップやキャラクターグッズショップがずらりと並んでいます。
そのちょうど入り口あたりにある広場で、キャラクター関連のイベントが定期的に行われています。
そして今日、そこを通ってみると、「カメダバザール」と称して、亀田製菓の商品を販売していました。
壁には柿の種の大きなポスター。なんか次世代の柿の種らしいです。いったいどんな柿の種???
時間がなかったので立ち寄って確かめることはできませんでした。残念!
それはさて置き、明日、8月31日はダイアナさんの命日です。
パリの事故現場からすぐのアルマ橋のたもとにある記念碑が追悼の場所になっています。
しかし、この記念碑、もともとは全く別の目的で作られたものでした。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局CNEWSで2017年8月27日に生放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
こちらがその記念碑Flamme de la Liberté(自由の炎)です。
今から20年前の1997年8月31日にパリで亡くなったダイアナ妃を悼む人たちが訪れる場所になっています。
「若い頃はダイアナ妃の大ファンでした。結婚式のテレビ中継を見るために朝早く起きたこともありますよ。それに何か情報はないかと雑誌をあれこれ読んだりもしました」と女性。
記念碑には、お花、写真、メッセージなどが供えられています。
あれ、こんなところにもあの南京錠が!油断できないですね、愛の南京錠!
「パリで英国の妃が亡くなったと思うと、未だにちょっとショックですね」と男性。
ダイアナ妃はこのトンネルの中で起きた事故で亡くなりました。まだ36歳の若さでした。
「若くして亡くなった方を追悼するにはとてもいい場所だと思いますよ」と男性。
とは言うもののこの記念碑、そのために作られたものではありません。
もともとはフランスとアメリカの親善を記念して作られたものでした。
炎は、あの自由の女神が手にしていた松明のレプリカ。
自由の女神は、1886年にフランスからアメリカに贈呈されました。それから100年を機に、大々的な修復工事が行われました。
その修復が完了したことへの感謝の気持ちを込めて、1989年にアメリカからフランスに贈られたのがこの “自由の炎” だったのです。
そして1997年8月31日、ちょうどこの下にあるトンネルの中でダイアナ妃が亡くなりました。
この悲しい知らせの直後から、多くの人がここに花を供えてその死を悼みました。
それから20年間、世界中の人たちがやってくる巡礼の地になったのでした。
私も一度どんなところか確かめに行ったことがあります。
今となっては、ある意味、観光の名所ですね。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、夜寝る前に、遅くまで仕事でがんばっている夫に、炎のように熱いメッセージを送った。すると夫が返信してきた。『オマエ、酔っ払ってんのか?』」
VDM(Vie de Merde)より
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