ビストロの歴史 [フランスのお宝]
あれよあれよという間に、1ユーロが137円にまで値上がりしていてびっくり。
ドルが値上がりしていないところを見ると、円安というわけではなく、ユーロが勝手に値を上げているだけのようです。
何が原因なのかよくわからないですねえ〜。
それはさておき、先週はブラッスリーを特集した番組をシリーズで紹介しましたが、フランスの飲食店と言えばビストロというのもあります。
本日はその歴史について少し振り返ってみましょう。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 2で2018年1月29日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
こちらはパリのとあるお店。白黒映像は一体いつ頃のものなんでしょう?50年代くらいか・・・。
ワインを飲んでいい気分になったのか、いい声してますね、このおじさま。
そしてテーブル席ではカードゲームに興じるおじさま方もいます。
さて、ビストロの歴史は、パリのプロコップ(Procope)から始まります。
プロコップは17世紀に出来たフランスで初めてのカフェ。お店の看板には1686年設立と書かれてあります。
当時、トルコ人だけがつくり方を知っていた飲み物コーヒー(フランス語はカフェ)をここで味合うことができました。
またここでは貴族やエリートたちが集い、サロンというものを開いて議論を戦わせていたとか。
労働者や酔っ払いで賑わっていた居酒屋に取って代わったのがこのカフェです。
しかし、粋でおしゃれなカフェが繁栄を遂げているその陰で密かに増殖していた別のタイプの店がありました。
それがカフェ・シャルボン(シャルボンとは石炭)。
その生みの親は、パリに出稼ぎに来ていたフランス中部山岳地帯のオーヴェルヌ出身者です。
彼らは石炭の袋を担いで各家庭に配達していました。時にはそれが水だったこともあるそうです。山男は体が頑丈にできていたようです。
こうして稼いだお金で、自分の石炭の店にブニャ(bougnat)と呼ばれる小さな飲み屋を併設しました。そして安い値段で飲み物を出したのです。
1930年代に入ると、ブニャの周りに工場が立ち並び始めます。その工場で働いている労働者、関連の職人たち、さらには文無しがブニャにやってくるようになります。
というのも、ブニャではツケがきいたからです。そしてこんな風に簡単なランチも出していました。
1960年代になると石炭の需要がなくなり、飲食店だけの仕事をするようになります。これがビストロ、カフェ、レストラン等々になっていきます。
ちなみに当時のフランスには20万軒のビストロがあったそうです。
そうして月日が流れた1983年。初めてのアルコール反対運動が起こります。
当時、交通事故の50%が飲酒運転だったとか。その元凶がビストロやカフェのようになってしまったのでした。
おかげで商売上がったり。都市の再開発も相まって多くのお店が閉店に追い込まれました。
そして最後の打撃が公共の場での喫煙禁止。
生き残りをかけて、詩の朗読やオペラなどを開催して付帯価値を高めたり、食料品店やパン屋に併設するビストロもあります。
現在残っているビストロは全国で36,000軒になってしまいました。最盛期の10分の1だそうです。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、家に帰ったら空き巣にやられていた。盗まれたお金は350ユーロ、盗まれたものはチューインガムとコカコーラ」
VDM(Vie de Merde)より
玉村豊男さんの書籍で読んだ話が。
ビストロとブラッスリーの歴史に、オーベルニュ出身の人が最初に炭を売り始めたのが・・とか、出てました。
そして、ザンクっていうのもあのカウンターを指して言うんですね。
by nicolas (2018-02-03 13:28)
nicolasさん
このビストロとブラッスリーの話は面白いですね。ざっくり言うとビストロはワインでブラッスリーはビールと聞いていましたが、こうして映像を見るとなるほどねと思います。昔はああいうカウンターは亜鉛(ザンク)で作られていたそうですよ。昔の食器にも亜鉛製がたくさんありますもんね。
by carotte (2018-02-03 15:42)