田舎風離宮 [フランスのお宝]
連休中、朝寝坊していたせいか、連休明けの朝は少々辛い・・・。
それはさておき、フランス観光で欠かせない名所中の名所ヴェルサイユ宮殿。
この中にある小トリアンノン宮殿の庭に作られた田舎風離宮ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ(Le Hameau de la Reine)が5年にわたる改修工事を終えて、間もなく一般公開になるそうです。
下記のウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局TF1で2018年5月6日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
1787年、32歳の王妃マリー=アントワネットは、人工池の周りにコロンバージュ様式の立ち並ぶこの田舎風離宮でくつろいていたと言われています。
それからわずか2年後、革命により王妃は二度とここには戻れなくなります。
「当時、貴族たちの間で流行していたのがこの田舎風の離宮です。当然、王妃も離宮が欲しかったんでしょう」と関係者の方。
空から見るとまるで箱庭のよう。しかし革命後は放置され忘れ去られていました。
そもそもこのような離宮を立てること自体が特権階級の贅沢なわけですから、どれだけ粗末な扱いを受けたかは想像に難くありません。
この離宮を最初に修復したのがナポレオンでした。修復されたのは離宮内にある小劇場。
修復後はナポレオンの二人目の妻マリー=ルイーズに与えられました。
さらに20世紀初頭、アメリカの大金持ちロックフェラーのメセナにより大々的な修復が行われました。
そして今回の修復です。かかった時間は5年、費用は500万ユーロ!
「全体の電化、暖房設備、展示物を良い状態に保つためのエアハンドリングユニットを完備しました」
また、家具や調度品も揃えられました。ここは “王妃の家” と呼ばれる建物。
マリー=アントワネットが使っていたものは革命で四散してちまったため、ナポレオン時代のものが用意されました。
また一階のビリヤード室も1910年当時と同じように再現されました。
庭の修復も設計当時の行われました。
フランスの優秀な職人さんたちがここに集められ5年の歳月をかけて、マリー=アントワネットの残した離宮を現代に甦らせました。
窓から見えるあの田舎家の中はどんな具合になってるんでしょう?ちょっと見学してみたい気分になります。
実際に農作業ができるように作られている場所もあるようです。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、3ヶ月の旅行の為に荷物を準備した。全部を鞄に詰め、あとは蓋をして閉めるだけ。その時、鞄の中で突然、電気シェーバーが動き始めた」
VDM(Vie de Merde)より
週末は・・・庭見学 [フランスのお宝]
オランド大統領時代に首相を務めたことがあり、その後、フランス大統領選にも名乗りを上げたことのあるマニュエル・ヴァルスが、来年のバルセロナ市長選に出馬する可能性を示唆したそうです。
驚き!もし本当に出馬するとなるとフランスの国会議員を辞めるということになります。
そもそもスペイン生まれのスペイン国籍だったようですが、1982年にフランスに帰化。スペイン国籍はその後、取り戻したんでしょうかね?
ちなみに、バルセロナはヴァルスの生まれ故郷。カタルーニャ地方の中心都市バルセロナの市長になれば独立運動を沈静化させ、国の分裂は回避できるということのようです。
それはさておき、今週の日曜日もまた週末旅はお休みです。放送がありませんでした。でも来週は大丈夫そうです。
本日は、ロワール渓谷にあるヴィランドリ城(Château de Villandry)の見事な庭をご覧ください。
下記のウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 3で2018年4月18日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
緑の中に赤いチューリップの花が咲いています。春らしい風景。
しかし、何よりこのお城を有名にしているのがこの幾何学模様の庭。
10人ほどの庭師がこうして手入れを欠かしません。こちらの庭師はカナダからやってきました。
「英国式庭園とは異なるフランス式庭園についてはケベックで学びました。正確に決められた形に整えていくのは大変勉強になります」
このお城、建てられた時からずっと美しい庭を維持してきたわけではありません。20世紀初頭、城は放置され庭はご覧の通りの普通の平らな土地になっていました。
1906年、一人のスペイン人男性と一人のアメリカ人女性が、元々あった庭の再建に乗り出しました。
この二人、現在の城のオーナーのご先祖だとか。
これだけの庭を再建するとは、かなりの気力と財力が必要だったでしょうね。
「当時は英国式庭園に変えられていました。そこで二人は16世紀の庭園に関する書物や設計図などを調べ上げたんです。そしてできたのがこの庭です。向こう側には菜園もあります」と現在のオーナー。
春になると24種類の植物が花をつけます。そして6月には菜園の野菜が収穫の時期を迎えます。
菜園もこんな風に幾何学模様に野菜が植えられます。昔、僧侶がこうやって野菜を育てていたそうです。
毎年35万人がこの庭を見学にやってきます。
「美しい庭を維持するために働いている人たちの作業にも見とれてしまいます」と女性。
それにしてもタンクトップとは夏を先取りですね。
このお城もまた国境を超えたお話でした。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、妻が家のインテリア用にガーデン・ノームを買ってきた。これで9体目だ」
VDM(Vie de Merde)より
最も美しい市場 [フランスのお宝]
ツツジの時期になりました。いつの間にかピンクと白の華やかな花壇があちこちに出来ていました。
4月ももう下旬。青葉若葉の季節がもう直ぐやってきます。
さて、フランスの民間テレビ局TF1の午後1時の報道番組では、“フランスで最も美しい市場”コンクールを開催中です。
最近の日本風に言えば “フランスで最も美しい市場” 総選挙。
25の候補の中から一つを選んで一般市民がネット上で投票し、得票数の多かった市場がグランプリに輝きます。
そのサイトが→こちら。すでに200万人以上が投票しています。
地図のアイコンまたはその下にあるリストのアイコンをクリックすると該当の市場の写真や解説のページが開きます。
そしてそのままその市場に投票することもできます。
本日はこの25の候補の中の一つ、イル=ドゥ=フランス代表ヴェルサイユの市場を紹介しましょう。長い歴史を持つ市場のようです。
下記のウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局TF1で2018年4月18日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
その市場の名は、ノートル=ダム市場。空から見ると4つの建物で出来ているのがわかります。
昔はこんな感じの市場でした。そして今はこんな感じ。賑やかですね。
チキンが串刺しになったお店もあります。これからローストするんでしょうね。
「勝てると思いますか?」と取材班。
「もちろんだよ。勝たなきゃダメなんだよ」とお店のおじさん。
「アピールし続ければお客さんが投票してくれますよ」と別のお店の男性。
街のあちこちにコンクールのポスターや記事が貼り出されています。
魚屋さん、お客さんに投票を呼びかけるのを忘れません。
しかし、市場である限りはモノが良くなくてはどうにもなりません。ノートル=ダム市場には何世代にもわたってここでお店を開いてきた人たちが集まっているようです。
ということは、ものを見る目のある人たちが集まっているということ。
「ヴェルサイユに市場を作ったのはルイ13世で、1634年のことでした。その後1669年にルイ14世が今の場所に移転させ、1720年に今のような施設になりました。それは4つの区画からなっており、それぞれ小麦粉の棟、野菜の棟、鮮魚の棟、肉の棟と呼ばれていました」
現在の市場にあるのは食べ物ばかりではありません。お花屋さんだってあります。
「いい季節ですね。せっかくですからこの季節を満喫したいです」と女性客。
「ここには100軒ほどがお店を出しています。ですから、お客様が欲しいと思ったものはたいてい揃ってます」と店主。
先ほどちらっと映像に出てましたが、レバンノン料理とか中東のスペシャリテなどと書かれた看板がちらりと見えていました。国籍も様々ですねえ。
そして、こちらではブルターニュのスペシャリテ、クレープを焼いていました。民族衣裳を身にまとい、お客様へのサービスも忘れません。
この時はアメリカ人観光客がクレープを食べに来てました。
そしてこちらは星付きレストランのシェフ。この方もこの市場でお買い物です。
まずは味見をしてからです。40か月熟成のチーズを試食してました。
「ここは僕にとっては図書館みたいなところです。物が綺麗に並べられ、どれも美しくて美味しい。料理のヒントをもらいにここを訪ねるんです」とシェフ。
皆さん、お客様に投票をお願いしていましたが、グランプリを獲得できるでしょうか?
発表は来月の5月。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、市場でお店を出している。一人の女性がやってきて、イチゴを一粒だけ買っていった・・・」
VDM(Vie de Merde)より
世界最古の映画館 [フランスのお宝]
世界で最も古い映画館といえば、そう、あの活動写真に登場した町にあります。
下記のウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 2で2018年4月15日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
ここは地中海に面したコート・ダジュールにある町ラ・シオタ(La Ciotat)。
世界で最も古い映画館エデン・テアトル(Éden Théâtre)はここにあります。
最古の映画館のわりにはピカピカで新しい感じ。中に入ってみましょう。
「これはここで初めて商業映画が上映された時のポスターです。1899年のことでした」
250人の観客の前で上映された映画がこれ。リュミエール兄弟の一人ルイ・リュミエールが撮影した「ラ・シオタ駅への列車の到着」。
この映画を初めて見た人々は驚いて座席を立って逃げたという話はあまりに有名ですが、実際はのちの人がこの上映を伝説にするべく話を盛ったということらしい。
とは言え、観客が驚きを持ってこの映画を観たことは確かなようです。
「ものが動いているのを見た人たちにとってこれは革命であり、大変な衝撃だったんです」と、この映画館を運営しているレ・リュミエール・ドゥ・レデン協会の会長さん。
ここでは映画の上映、ショー、スポーツの試合など様々なイベントが開催されました。
しかし、1982年12月、突然の悲報がこの劇場を襲います。オーナーが強盗に襲われ亡くなってしまったのです。
「最後の上映が終わった直後に、ここで強盗がレジの現金を奪おうとしたのに抵抗して命を奪われてしまったのです。この事件でエデンは30年もの間、閉館を余儀なくされました」
手入れされることもなく放置されたままの映画館は外観も室内もこの通り傷んでしまいました。
結局、町がここを買い取り、1996年には国の文化財に指定されます。2002年には、住民たちが再建のために支援活動を始めます。
「ここは残しておかなければならない大切な場所です。歴史を残す本物の建物だからです」とクラウディア・カルディナーレ。
あのイタリアの女優さんです。お年を召してもお美しい!
住民の方々、どうやら “1ユーロ募金” みたいなことをやったようです。
おかげでご覧の通り改修を終え2013年に営業を再開したというわけです。
それで新品のようにピカピカになったわけですね。
ここでは水曜日と土曜日の上映の合間に中を見学することができます。上階には古い映写機も展示してあるようです。
「とても感動しました。昔があってこそ今があると感じます」と女性。
映画館の入場券は7.50ユーロ。家族でやってくる人もいます。
営業再開から入場者数は2倍に増えました。2017年の入場者は25,000人にもなったそうです。
プレジャーボートやヨットの並ぶ港のすぐそばに映画館はあります。その姿はまるで活動写真の蒸気機関車のようです→こちら。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、父が電話してきて、今付き合っている彼女と親睦を深めたという。レストランで食事?それとも映画でも観に行ったか?いやいや、結婚したんだって」
VDM(Vie de Merde)より
マリアンヌ [フランスのお宝]
仕事のお昼休みに皆さんのブログをお訪ねするのがいつもの日課なのですが、昨日は緊急メンテナンスとかでアクセスさえも出来ずじまい。
仕方がないので、散歩がてら近くの千鳥ヶ淵まで桜を見に行ってきました。
少し散り始めていましたが、まだまだ楽しめました。今週末が見納めでしょうか・・・。
さて、本日は絵画のお話。
パリのルーヴル美術館でモナリザの次くらいに必ず見る有名な絵についてのお話です。
下記のウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 3で2018年3月29日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
ドラクロワの描いたこの絵、教科書やクイズ番組にもよく登場する「民衆を導く自由の女神(La Liberté guidant le peuple)」です。
実際に見るとその大きさに圧倒されます。幅3.25メートル、高さ2.60メートル。
1830年に起きたフランス7月革命の様子を描いたもの。
1815年の王政復古で王位についたルイ18世の後を継いだシャルル10世を倒すべく、民衆が立ち上がったのがこの7月革命でした。
この方が作者のドラクロワ。
制作年度が1830年ですから、歴史と同時進行で描かれたことになります。
「ドラクロワは目の前で繰り広げられた事件をそのまま絵に描いたわけですから、ある意味ルポルタージュと言えます。そして、彼がどこまで運動に参加していたかはわかりませんが、少なくとも活動家として描いたということになるでしょう」と展示会の関係者。
この絵には5人の主要人物が描かれています。
まずは上半身を露わにしたこの女性。フランス革命以来、自由を象徴するようになったフリギア帽をかぶり、フランスの国旗を手にしています。
そして労働者、中産階級の男性、青いシャツを着た農民。さらに子供。
この少年、レ・ミゼラブルに登場する少年ガヴロシュのヒントになったそうです。
絵の全体を見るとリアリズムに溢れているのがよくわかります。
死体、黒く汚れた爪、血痕等々。その点では近代絵画と言えるでしょう。
「女性は自由という精神を表しています。精神を女性の肉体として描いたわけです。当時、大衆はこの絵を見てショックを受けました。彼女の着ている服の布がほつれて毛羽立っていたからです」
この女性、フランスではマリアンヌと呼ばれ、かつてはフランのお札に登場していました。また長年切手にもなっています。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、切手を買いに行った。買ってすぐに舐めて封筒に貼ったがすぐに剥がれてしまう。他の切手で試してみたが、やっぱり同じ。すると窓口の女性が、切手の裏にあるフィルムを剥がしてから貼るのだと教えてくれた」
VDM(Vie de Merde)より
ビストロの歴史 [フランスのお宝]
あれよあれよという間に、1ユーロが137円にまで値上がりしていてびっくり。
ドルが値上がりしていないところを見ると、円安というわけではなく、ユーロが勝手に値を上げているだけのようです。
何が原因なのかよくわからないですねえ〜。
それはさておき、先週はブラッスリーを特集した番組をシリーズで紹介しましたが、フランスの飲食店と言えばビストロというのもあります。
本日はその歴史について少し振り返ってみましょう。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 2で2018年1月29日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
こちらはパリのとあるお店。白黒映像は一体いつ頃のものなんでしょう?50年代くらいか・・・。
ワインを飲んでいい気分になったのか、いい声してますね、このおじさま。
そしてテーブル席ではカードゲームに興じるおじさま方もいます。
さて、ビストロの歴史は、パリのプロコップ(Procope)から始まります。
プロコップは17世紀に出来たフランスで初めてのカフェ。お店の看板には1686年設立と書かれてあります。
当時、トルコ人だけがつくり方を知っていた飲み物コーヒー(フランス語はカフェ)をここで味合うことができました。
またここでは貴族やエリートたちが集い、サロンというものを開いて議論を戦わせていたとか。
労働者や酔っ払いで賑わっていた居酒屋に取って代わったのがこのカフェです。
しかし、粋でおしゃれなカフェが繁栄を遂げているその陰で密かに増殖していた別のタイプの店がありました。
それがカフェ・シャルボン(シャルボンとは石炭)。
その生みの親は、パリに出稼ぎに来ていたフランス中部山岳地帯のオーヴェルヌ出身者です。
彼らは石炭の袋を担いで各家庭に配達していました。時にはそれが水だったこともあるそうです。山男は体が頑丈にできていたようです。
こうして稼いだお金で、自分の石炭の店にブニャ(bougnat)と呼ばれる小さな飲み屋を併設しました。そして安い値段で飲み物を出したのです。
1930年代に入ると、ブニャの周りに工場が立ち並び始めます。その工場で働いている労働者、関連の職人たち、さらには文無しがブニャにやってくるようになります。
というのも、ブニャではツケがきいたからです。そしてこんな風に簡単なランチも出していました。
1960年代になると石炭の需要がなくなり、飲食店だけの仕事をするようになります。これがビストロ、カフェ、レストラン等々になっていきます。
ちなみに当時のフランスには20万軒のビストロがあったそうです。
そうして月日が流れた1983年。初めてのアルコール反対運動が起こります。
当時、交通事故の50%が飲酒運転だったとか。その元凶がビストロやカフェのようになってしまったのでした。
おかげで商売上がったり。都市の再開発も相まって多くのお店が閉店に追い込まれました。
そして最後の打撃が公共の場での喫煙禁止。
生き残りをかけて、詩の朗読やオペラなどを開催して付帯価値を高めたり、食料品店やパン屋に併設するビストロもあります。
現在残っているビストロは全国で36,000軒になってしまいました。最盛期の10分の1だそうです。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、家に帰ったら空き巣にやられていた。盗まれたお金は350ユーロ、盗まれたものはチューインガムとコカコーラ」
VDM(Vie de Merde)より
英仏親善のタピスリー [フランスのお宝]
先日、郵便局の留守配達票が郵便受けに入っていて、見ると差出人はクレジットカード会社。配達証明付きの郵便物だという。
一体中身はなんだろう?と思いつつ、とにかく今日中に受け取れるようにしなくてはと、急いでネットで再配達の申し込みをした。
やがて指定した時間に冷たい雨の降る中を再配達してくれた。
それはいいのですが、届いたのはB5サイズほどの少し厚めの黒い封筒で、何のことはない、アメックスのプラチナカード申込みの勧誘でした。あまりのくだらなさに呆然。
ご丁寧に申込書には私の名前やら住所やらすでに印字してあるのです。しかもステータスのシンボルだとか、あれこれ特典を並べ立て、虚飾の匂いのぷんぷんするパンフレットが入っている。
正直、こんなものに配達証明なんて不要じゃないですかね。
配達に二倍の労力を費やし、しかも受取人の時間を拘束してまで送りつけてくるなんて許せん!って感じなのです。
八つ裂きどころか、十六いや三十二裂きにしてゴミ箱に投げ捨てました。
まったくもう〜、クレジット会社、何様のつもり?!
いつまでも怒っていても仕方がないので、本日の本題へと参りましょう。
フランス、ノルマンディ地方の町バイユー(Bayeux)には、11〜12世紀頃に作られた貴重な刺繍画があります。フランスとイングランドに関わる歴史的遺物であり、貴重な史料でもあります。
この刺繍画が英仏親善に一役買うことになったようです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局Franceで2018年1月17日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
こちらがその刺繍画。「バイユーのタピスリー」または「王妃マティルダのタピスリー」という名で知られています。日本からも観光で見学された方も多いでしょう。
イングランド王でありノルマンディー公でもあったウィリアム1世(ギヨーム征服王)の時代を描いたもので、長さは70メートルにも及びます。
1066年10月14日、イングランドのヘイスティングズでイングランド軍とノルマンディ軍の戦いが繰り広げられていました。
結局、この戦いで勝利したノルマンディ公のギヨームはイングランド王となりウィリアム1世と呼ばれました。
その歴史を描いたのがこのタピスリーです。
英国にとっても重要な歴史の一幕ですが、これまでこのタピスリーが英仏海峡を渡ったことはありませんでした。
しかし、この度、フランス政府は親善の一環として英国に貸し出すことを決定。
「貴重なものを分かち合うという寛大な対応ですね」と女性。
「教科書や歴史の授業で知ってますよ。本物が見られるなんていいですね」と男性。
「非常に興味深い時代のお話ですね。しかもわが国の歴史の一部ですから」と別の男性。
1953年の戴冠式の際に英国から申し出があったようですが、実現しませんでした。
1987年にはチャールズ王子とダイアナ妃が見学に訪れました。
そして今回はフランスがこのお宝を貸し出すことにしたのです。
「このタピスリーが英国で展示され英国民が見られるというのは大変意味深いことです」とメイ首相。
とは言ってもすぐにというわけにはいきません。
「今の状態では動かすことはできません。何しろ12世紀のものですから壊れやすいんです」とバイユー美術館の学芸員。
修復を済ませ移動が可能になってから(予定では2023年)、海を渡ることになるそうです。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、そしてずっと前から、寝室に抽象的モチーフのタピスリーを飾っている。このモチーフの中になんだか怒っている顔のようなものを見つけてしまった。それ以来、眠れなくなってしまった」
VDM(Vie de Merde)より
バゲットも世界遺産? [フランスのお宝]
フランスで生まれたベベバンダ(赤ちゃんパンダ)のYuan Meng(ヤン・メン?)が一般公開されました。その映像が→こちら。
上野と同じで見学者の人だかりですねえ。そして動物園の前にはご覧の通りの長蛇の列。
あの可愛さは並じゃないですから、一目見たいと思うのは万国共通のようです。
さて、フランスのパンと言えばバゲット(baguette)。このバゲットをユネスコの世界遺産にしようという動きがあるそうです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France 3で2018年1月13日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
中は柔らかく、外側はカリカリ、小麦色に焼けたそのボディ。
いつ頃生まれたパンなのかは不明ですが、フランス人とバゲットが切っても切れない関係になったのはおよそ100年ほど前から。
世界中の人々が、バゲットと言えばフランスのパンだと知っています。
となると、あのナポリのピッツァと同じようにユネスコの世界遺産になってもおかしくないですね。
「世界遺産になるのはいいことだと思いますよ。パン屋さんの労に報いることにもなりますからね」と女性。
「今は子供達に食べさせてますし、私も子供の頃から食べています。ですから先祖から伝えられてきた国の遺産のようなものになっていると思いますよ」と男性。
「ユネスコの世界遺産になると何かいいことがあるのかどうかわからないけど、バゲットがフランスのスペシャリテだということは本当です」と小生意気なことをおっしゃる男の子。
フランスでバゲットが広く普及し始めたのが1920年代のこと。
これまでの大きな田舎風パンは人気を失い、生地の生成から発酵と焼き上げまでが短時間で済む(しかも安い!)バゲットの市場は一気に拡大しました。
一口で言えば、バゲットはパンの世界を近代化させたのでした。
そして芸術家ダリが、当時世界最大と言われた12メートルもあるバゲットを肩にのせ行進したこともありました。
政治家の皆さんもバゲットの普及に一役買ったこともありました。
考えてみると、長いパンを端っこから切って食べるというのは、なかなか実用的ですね。
こちらのパン屋さんでは1日に約100本ほどのバゲットが売れるそうです。
「バゲットは美食のフランスには欠かせない食べ物です」とパン屋さん。
この店のバゲットがこれです。スーパーのバゲットみたいにふにゃふにゃじゃないですね。カリカリっと焼けて美味しそう。
近々、パン・菓子屋フランス全国連盟がユネスコに申請を出すことになっているそうです。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、パン屋で0.99ユーロのバゲットを買った。店の従業員がお釣りを計算するのに電卓を使った。僕がそいつに渡した金額は1ユーロ・・・」
VDM(Vie de Merde)より
お宝を取り戻せ! [フランスのお宝]
先日、ある映画(スペインとアルゼンチンの合作)を観ていたら、みんなで写真を撮るシーンが出てきました。
そこでは「はい、チーズ!」ではなく「はい、ウィスキー」と言っていました。
確かに、キーと言えば口が横に広がってにっこり笑った顔になります。
考えてみれば「チーズ」じゃおかしいですよね。チーはいいけど、ズになったら口が閉じて三角になってしまいます
一体、なんでまた日本では「チーズ」になってしまったのか・・・。大きな疑問。
さて、数々の名品を所蔵するるパリのルーヴル美術館。
この度、大変なお宝を手に入れようと一般から寄付を募っているそうです。その額、なんと1,000万ユーロ(約13億円)。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局TF1で2017年10月24日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
そのお宝がこれ。時祷書と呼ばれる携帯用の本です。
「小さなバッグに入れて持ち運ばれていました」と男性。
この本、あのフランス国王フランソワ1世が、姪にあたるナバール王妃にプレゼントするために作らせたもの。
金箔や宝石で飾られたカバーを見ると、とても本には思えません。しかし中を開くと、確かに本。美しい挿絵が描かれています。
「これは値段がつけられないくらい高価なものですね」と取材班。
「その通りです。それが問題なんです」と関係者。
来年早々に、ロンドンの古美術店で売りに出されることになっているこの時祷書、どういう経緯でフランスから出てしまったのか?
こうなったらルーヴル美術館の威信にかけてフランスに取り戻さなくてはなりません。
そこで、一般から寄付を集めるという策に出ました。目標額は1,000万ユーロ(約13億円)。
これだけで、ルーヴル美術館が新しい美術品を購入するための年間予算額の2倍に当たると言います。
早速、名乗りを上げたのがLVMH。ルイヴィトンやディオールなどいくつもの高級ブランドを傘下に持つ企業です。
なんと目標額の半分500万ユーロを寄付すると発表しました。
右側の男性はLVMHのCEOベルナール・アルノーの顧問。
自前の美術館も作った上に、こんなところにも寄付するなんて、この会社、相当儲かってます。
「10ユーロでも20ユーロでも寄付していただき、この貴重な美術品が我々のものなんだと思っていただくことが重要なんです」とルーヴル美術館の方。
そう言えば、サモトラケのニケの修復でも同じように寄付を募っていました。
その寄付に参加した一人がこの方マリア=アメリアさん。すでに7回もこのような寄付をしているそうです。
「こうして美しくなった彫像を見ると、この修復に自分が参加したんだと実感できて誇りに思います」
残り500万ユーロが無事に集まり、この小さなお宝がフランスに戻ることを祈ります。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、誰かがうちの郵便受けに、“がんばらなくても痩せる方法” と言う本を置いてった」
VDM(Vie de Merde)より
TGVからinOuiへ [フランスのお宝]
フランス国鉄の高速列車TGV。この夏からその名を “inOui” (イヌイ)に変えるそうです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局TF1で2017年5月27日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
フランス全土を高速で走るTGV。それがこんなロゴに変わるそうです。
1981年に生まれたTGV。
もう36年も使われ続けてきたその名前が変わろうとしています。
「inOui?(爆笑)」
「すべての車両が全部それに変わるんですか?」
「・・・いや、ちょっと」
「TGVで馴染んでるだけどね」
「TGV、TGV、TGV! inOuiよりTGVの方がいいじゃないですか。なんで変えるの」
「変われば変わったで問題ないですよ」
36年も使い続けていた名称が変わるとなると、戸惑う人の方が多いですね。
しかも、inOui(イヌイ)なんてちょっと妙な名前。一体どこから来た呼び名?
TGVは “train à grande vitesse”(高速列車)の頭文字をとって名づけられました。
そう言われれば、ああ、なるほどねとなります。
当時、パリからマルセイユまで4時間43分で走っていました。
列車の中でパリからの手紙を書いていたらあっという間にブルゴーニュ地方のマコンに達してた、なんて映像を作ってPRしていました。
これだけ人々に浸透している名前をなぜに変えるのか?
「システムを動かす企業が外からやってくるんです。なのでサービスの区別が必要になるわけです。ouigoとかinOuiとか」と専門家の方。
フランス国鉄はTGVに二つのブランド名をつけました。
最初はouigo。4年前のことでした。
このブランド名で格安チケットを販売したのです。
そして今度はinOuiです。
料金はこれまでと変わらず、サービスの品質を改善したのがこのブランド。
特にWiFi接続ができるというのが目玉です。
「ユーザーにとってはどんな車両に乗るのか明確になるので便利です。それに通常の料金のままでWiFiに接続できれば利用客の増加が見込めます。家族や若者、そしてすべての世代にアピールできると思います」と交通機関利用者協会の方。
フランス国鉄の代表ギヨーム・ペピーさんはこんな風に言っているそうです。
「競争が激しくなる前に、TGVは良いサービスを提供していると思ってもらいたいのです。しかも値段を上げる訳ではありませんから、高級なものを提供しようというわけではありません」
フランス国鉄はこの方法で2020年までに1500万人の乗客増加を期待しているそうです。
******* フランス人のつぶやき *******
「今日、そしてずっと前から、僕は早口で話すという困った癖がある。国語の口頭試験で、試験官が評価の欄に “TGV” と書いて三重丸で囲んでいた」
VDM(Vie de Merde)より