一人で作る大聖堂 [スペイン]
ユーロ圏の3月の失業率が10.8%に達したそうです。
因にフランスとイタリアが9.8%、ドイツが7%、あのギリシャはというと21.8%。
しかしさらに上を行く国がありました。
それはスペイン。失業率は24.4%。だいたい4人のうち1人が失業している計算になります。
大丈夫なんだろうかと心配になりますが、今日の話題は、そのスペインからです。
マドリード近郊に住むフスト・ガレゴ・マルチネス(Justo Gallego Martinez)さんは、元僧侶。50年前からこつこつと一人で大聖堂を建てています。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2012年4月30日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
ここまで、なんの建築の知識もなく建ててきました。
「設計図なんかなんの役にも立たんよ。時間の無駄じゃ。ラインを引いて、移動させて、建てるだけじゃよ」とマルチネスさん。
地上40メートルのところには、サン=ピエトロ寺院がモデルのドームがあります。その直径は22メートルほど。
サクリスティ(聖具室)や回廊も作られています。
これだけの規模の建物をぜんぶ一人で作って来たとは驚きです。
敷地面積は8,000㎡。土地は両親から譲り受けました。
必要な資材の80%が寄付で賄われて来たそうです。
ここまでの規模になると、やはり建築法に触れるため、資格をもった建築家が無償でアドバイスしているそうです。
「模型を作って持ってきたいと言ってる会社からの電話だよ」と男性。
「そりゃあいいねえ〜」とマルチネスさん。
青年のマルチネスさんはトラピスト会の修道士になりましたが、結核を患い、修道士になることをあきらめます。
そして、奇跡的に結核から回復した時、神と交わした約束を実行に移します。それがこの大聖堂でした。
仕事は毎朝6時に始めます。
大工、左官、ステンドグラス職人と、一人で何役もこなします。
「これがキリストじゃよ。彫像は上にも40個あるから全部で60個ということになるな」とマルチネスさん。彫刻家でもあったんですね。
ここには毎年100人ほどの人が見学にやってくるそうです。
よ〜く見ると、アーチ型の柱の上にはフレスコ画もあります。
マルチネスさんは現在84才。とてもそんなお年には見えないフットワークの軽さ。働き者は贅肉なんかついてません!
6人の甥御さんが時々手伝いに来てくれるそうですが、まだまだ完成までに時間がかかりそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、私は失業中の女優です。今朝、ウチの猫に役が付いてしまいました。飼い主の方はなかなかオーディションに合格しないというのに……」
VDM (Vie de merde)より
ゲルニカは後期高齢者 [スペイン]
マドリードのソフィア王妃芸術センターに収蔵・展示されているピカソ作ゲルニカ。
今年、制作から75年目を迎えます。だいぶご高齢です。
そこで、この度、念入りな健康診断が行われています。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2012年4月24日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)(番組の冒頭に別の話題の短い映像が入っています)
この日は火曜日の休館日。作品の前には特殊なカメラが設置されていました。
「まずは普通の映像を撮影します。その後、赤外線で撮影します」
ゲルニカの状態を細かく調べ上げるために特別に設置されたカメラには、Pavito(七面鳥)というニックネームがつけられています。
この巨大な作品を、なんと1平方センチ毎に撮影していくそうです。全部を撮影し終わるのには相当の時間がかかりそう。
とは言っても、これまでの撮影で、ある程度、実態が分かってきました。
割れ目や絵の具がはがれている部分が何カ所もあり、かなり深刻な状態だそうです。
内戦中のスペインで、1937年、バスク州にある町ゲルニカが空爆を受けたことを知ったピカソが、急きょ描いたのがこの作品でした。
あまりにも有名なこの作品、これまでに50回もの旅を経験しているそうです。
「輸送される際に、どうやら作品が裏表逆に巻かれたことがあるらしく、それが大きなダメージとなったようです」と修復の責任者の方。
作品は細部に至るまで調べるために3Dで撮影されました。
そのため、番組に登場したように作品を立体で再現するという、これまでにない映像の制作が可能になりました。
ピカソの頭の中には、こんなイメージがあったのかもしれませんね。
撮影は6月末に終了し、映像は80,000枚以上にも及ぶ予定だそうです。
80,000ピースのジグソーパズルみたいな感じですね。
尚、番組の冒頭に登場した幕もピカソの作品です。
1917年にセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスが、パリのシャトレ座でバレエ「パラード」を初演した時に使われたもので、フランス東北部の都市メッスのポンピドゥーセンターで5月26日から公開されます。
映像はその準備の様子でした。
幕に興味のあるかたは→こちらで全体が見られます。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ルームメイトのスペイン人が帰国したのだが、アパートにあったトイレットペーパーを一つ残らず持ち帰ってしまった。スペインの経済危機はほんものらしい」
VDM (Vie de merde)より
アーモンドの花 [スペイン]
昼間は暖かくなってきましたが、朝晩はまだまだ真冬のまま。
そろそろ冬に「また来年会おうな」って言って、すっきりお別れしたいのですが、そうも行かないみたいです。
そんなときは、やっぱり、花。
スペインの南部エルケ・デ・ラ・シエラ(Elche de la Sierra)では、アーモンドの花が満開です。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2012年3月7日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
スペインはカリフォルニアに次ぐ世界第二のアーモンドの生産地だそうです。
そのアーモンドの木に、淡いピンクの花が一斉に咲き誇っています。
近くで見ると、桜に似ています。ちょっと果敢なげな感じにも見えます。
「この時期に冷え込むと、花が落ちて収穫が見込めなくなってしまいます」と栽培者。
ここでは数千匹のミツバチを飼っています。
ミツバチはアーモンドの受粉を助け、さらにおいしい蜂蜜も穫れるそうですから、一石二鳥。
ここの蜂蜜は高品質で味も良く、ほのかにアーモンドの香りがするとか。
この地域の農家はたいていアーモンドを栽培しています。
ホセ=ルイスさんもその中の一人。代々ここでアーモンドの栽培に従事してきました。
「ここの気候がアーモンドの栽培に適しているんです。規模はそれほど大きくはありませんが、重要な産業です。もしここで穀物を栽培したとしたら、たくさんの農業用機材が必要になるでしょう」
確かに、アーモンドなら機材はそれほど必要ではなさそうです。
フランス人のフランソワさんは、この寂れた村に、アーモンドの花が咲く風景が気に入っているそうです。
「ちょうどいいくらいの暖かさで気持ちがいいです。それに、この花の香り。いい匂いです。また、色がいいですね。冬でもなく春でもないこの時期が素晴らしいです」
この風景、この時期の20日間くらいしか見られないそうです。
そうは言っても桜よりは長いですね。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ガールフレンドができて5日目なる。ちょうど5日前、花束を持って女の子の家を訪ねると、ドアを開けてくれたのが彼女だった。でも、ほんとは彼女の妹に会いに行ったのだ。でも今さらそんなことは言えませんよ」
VDM (Vie de merde)より
ヨーロッパの衛兵 その4 〜スペイン〜 [スペイン]
シリーズの四回目は、スペイン王室の警備に当たる衛兵。
スペイン軍の一つの独立した部隊として存在する王室警備隊(Guardia Real)。衛兵はこの部隊に所属しています。
王室や訪西した外国の国家元首の警護や、マドリッドを含む各地の王宮の警備がその任務。
パレードや式典にも登場しますが、元々軍の隊員で、戦闘兵としての訓練も受けており、アフガニスタンやボスニアに派遣されているそうです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2011年1月6日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、彼氏が酔っぱらって一晩だけ浮気をしてしまったと言う。かっとなって、熱いコーヒーをその顔めがけてぶっかけたらすっきしりしたあ〜。でも、その時、あいつはスペインにいて、私たちはSkypeで話をしていたのをすっかり忘れてました」
VDM (Vie de merde)より
フランス人も海外でバカンス その2 〜 豪華列車でのんびり旅 〜 [スペイン]
シリーズの二回目は、スペイン。サンティアゴ・デ・コンポステラからビルバオまで7泊8日の豪華列車El Transcantábricoの旅です。
距離にして約680キロ。日本なら、東京から岡山までの距離。新幹線のぞみ号なら3時間20分ですが、この列車はあちこち観光しながら8日かけて走ります。
乗客は、フランス人だけではありません。本国のスペインや、ドイツ、アメリカからやって来た人たちもいます。
列車は6両編成で、乗客は最大52人まで。始発駅はサンティアゴ・デ・コンポステラから100キロほど離れたフェロル(Ferrol)。ここまでのアクセスは観光バス。コンポステラで市内観光した後、そのままこの駅にやってきます。
夕方列車に乗り込み、次の停車地ヴィヴェイロ(Viveiro)に到着したところで夕食。そして車中一泊します。因みに、夜間は列車は止まったまま。これならよく眠れますね。
今日の番組は、このヴィヴェイロで一泊し、次の停車地リバデオ(Ribadeo)に向け列車が出発するところから始まります。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2009年7月28日放送)
列車が動き出せば起床時間です。食堂車の椅子に座って朝食をいただきます。
朝食が終わった頃、リバデオに到着。ここではラス・カテドラレス海岸を散策します。
波に浸食された巨大な岩に圧倒されます。ここは数百年前、陸地がいくつかの大陸に分かれた時にできた海岸だそうです。大聖堂を思わせる岩の形が名前の由来です。
リバデオでは市内観光もツアーの中に含まれているようですが、番組では先を急ぎます。何しろ放送時間は4分ほどしかありません。
しかし、急ぐと言っても列車は時速70キロ以上のスピードは出しません。のんびりと外の風景を眺めつつティータイムを楽しんでいるとオヴィエド(Oviedo)に到着。
ここでは大聖堂や市場を見学。見学しているうちに迷子になってしまったカップルもいました。市場ではケルト音楽のCDを売る露店がありましたが、この地域も海の向こうからやってきたケルト人の文化の影響を受けているそうです。
番組に登場した名所はほんの一部。列車の旅はまだまだ続き、見どころはまだまだあります。そして、8日間も一緒の列車にゆられれば、国や言葉は違ってもお友達になれるかもしれません。
この豪華列車El Transcantábricoは、あのオリエント急行にヒントを得て、1983年にできました。今年はリニューアルしてさらに豪華になり、スイートの数も14に増えたそうです。
また、ツアーはビルバオのもう少し先サン・セバスティアンまで延長されています。興味のある方は→こちらで日本語のパンフレットをダウンロード。
短いですが下記映像もご覧下さい。
念のためパンフレットをチェックすると............お値段も豪華でした。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、スペイン語の授業中、退屈になり、机の穴を修正液でふさぐことにした。ところが、いくら液を垂らしても穴はふさがらない。よくみると机の穴は貫通していて、ぽたぽたと自分のジーパンの上に垂れていた」
VDM (Vie de merde)より
スペインでも桜が満開 [スペイン]
日本のあちこちで桜が開花し、桜前線は北上を続けているようですが、スペインのエストレマドゥーラ州にある渓谷でも桜が満開です。
この渓谷は、桜の咲く二週間ほどは「白い谷」と呼ばれるそうです。何はともあれ、下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(2011年4月7日放送)
桜と言えば日本というイメージが強いようで、TF1の取材班は、富士山に桜という風景を求めてカメラを構えていました。
ここはスペインのヘルテ渓谷(Valle del Jerte)。
七代に渡ってティエルノ家が引き継ついできた歴史ある果樹園もここにあります。桜の数は1,700〜1,800本ほど。
渓谷全体では100万本ほどある桜の木。この時期は、その花びらで渓谷全体を白く染めています。そして、この風景を楽しむため、遠くから観光客も見物にやって来るそうです。
ここの桜はどれも実のなる桜。
マルコさんとパブロさんは、微妙な手つきで桜を受粉させています。受粉したらめしべだけを残し花びらを取り去ります。こうしておくと実がなりやすいそうです。
6月頃にはあちこちのお店に、あのワインレッドのさくらんぼが並ぶことになります。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、僕はスペインにやってきた。サンドイッチを売るお店を探していたのだが、スペイン語が話せないので、ある女性に身振り手振りをまじえながら『私、食べたい、ぱくぱくぱく』とやったら、くすくす笑い出した。彼女はフランス人だったのだ」
VDM (Vie de merde)より
由緒あるお店 その3 〜マドリードのアメ屋さん〜 [スペイン]
トレド通り53番地
ストリートビューの写真では、お店のショーウィンドーが日よけで隠れてしまっていますが、店内はカラフルで愉快なキャンディーでいっぱいです。
キャラクターをかたどったもの、ハムみたいなキャンディー、お酒の味のするキャンディーなど、創業者が考案したキャンディーが、今でも棚に並んでいます。そして、どのキャンディーも職人さんの手でつくられたもの。まずは番組をご覧ください。
映像は→こちら
現在のお店の主人は三代目。お客さんのリクエストに応えて新しいキャンディーを作っていたら、どんどん大きくなってしまったそうです。
誕生日の子供たちが紙袋から垂れ下がったヒモをひっぱって、中にあったお菓子をゲットしていましたが、元はメキシコの子供のお祭りで使われるピニャータ(くす玉人形)から来ています。このピニャータの中には、お菓子やおもちゃが詰められていて、目隠しをした子供が棒でたたいて割ると、中のお菓子が落ちてくるしかけになっています。
創業者のフランシスコ・モレノ・レドンド(Francisco Moreno Redondo)は、1930年代初め、若干20歳の時、当時、世界一おしゃれな通りと言われていたトレド通りに自分のお店を出します。もっぱら輸入食材を売る店として知られるようになりますが、1936年に思い切ってキャラメルとキャンディーだけを売る店にしてしまいます。そして、商品を売るために、息子を連れて、マドリッドの街の至る所にCaramelos Pacoとペンキで書いて回ったそうです。
1980年に店を譲られた息子は、事業拡張のためキューバに工場を建て、そこから南米やヨーロッパにキャラメルを輸出したそうです。日本にも輸出していたとか。
今ではこの店はスペイン一のキャンディー専門店として知られています。
本日のクリスマス・イルミネーション
☆ マドリード ☆
師走の街の風景も合わせてお楽しみください
* 少しの間、フランス人のつぶやきはお休みします