フランスの地方都市 その2 〜 トロワ 〜 [シャンパーニュ地方]
シリーズの二回目は、シャンパーニュ地方第二の都市トロワ。
トロワの人口は62,000人ほど。かつてメリヤス製品の中心地だったこの町は、最近ではアウトレットモール“Magasin d'usine”があることで知られています。
しかし、ここもユゼスと同じようにフランス文化省から「歴史と芸術の町と地域(Villes et pays d'art et d'histoire)」の指定を受けているだけあって、歴史を感じさせる美しい街並が残っています。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(2010年5月18日放送)
ルネッサンス様式のコロンバージュ(木骨造)の家々は、16〜17世紀にかけて造られたもの。1990年初頭から修復が続けられています。
狭い路地を挟んで立つ家と家をつなぐ細い梁のような木は、猫が屋根裏から屋根裏へ移動できるように造られたものだとか。
そしてパステルカラーに彩られた家並みが目を引きます。何世紀も立つうちに色あせてしまった外観は灰色だったそうですが、修復でこの色が甦りました。よくみるとモザイク模様のような壁の家がいくつもあります。
トロワには教会が10もあるそうです。町が少しずつ大きくなるに従って、教会が一つ二つと増えて行った結果、これだけの数になってしまったのだそうです。
中でも有名なのがサント=マドレーヌ教会。本堂と聖歌隊席の間にある石の透かし彫りは、まるでレースのよう。石だということを忘れてしまいそうです。
教会と言えばステンドグラスも忘れてはなりません。トロワは、12世紀から20世紀にかけてステンドグラスの中心地でした。
映像に登場した工房では、その修復が行われていました。ここは見学することができるそうです。
また、職人さんが使う道具を集めたユニークは博物館“Maison de l'Outil et de la Pensée Ouvrière”もあります。ちょっと面白いのは、大工さんが自分の道具に装飾を施していること。18世紀頃のものだそうですが、他の人と違う自分だけの道具にして楽しんでいたのかもしれません。
そして最後はやっぱりグルメ。トロワの名物は、あのアンドゥイエット(以前の記事は→こちら)。この食べ物、正直言って私は苦手です。
トロワのアンドゥイエット 焼いたもの
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、幼友達アメリーの結婚式に招かれた。時間に遅れてしまったので、教会の奥の端の方で立っていた。何分かたって、神父が言った。『ジョセフィーヌとセドリックを祝福したまえ……』げっ、教会を間違えた!」
VDM (Vie de merde)より
アルデンヌ県を巡る旅 その5 〜ベルギーとの国境〜 [シャンパーニュ地方]
シリーズの最後は、アルデンヌ県を流れるムーズ川沿いにあり、少し足をのばせば、そこはもうベルギーという町を訪ねます。
アルデンヌ県北部を蛇行して流れるムーズ川
ムーズ川の水源は、アルデンヌ県から南へ3つ目の県オート・マルヌにあり、川は、ここからヴォージュ県、ムーズ県、アルデンヌ県を通りベルギーへと流れ、さらにオランダを横断し北海へとそそいでいます。オランダではマース川と呼ばれています。
上記地図のとおり、ちょうど針の先のようにベルギーに食い込んだフランスの領土、これをLa Pointe de Givet(ラ・ポワント・ド・ジヴェ)と呼んでいますが、ここをムーズ川が通り、ベルギーへと入って行く、国境近くにある町がジヴェです。
ジヴェ
(Givet)
人口は6,777人。この辺りまで来ると、国境とは名ばかりで、実際にはベルギー人とフランス人が仲良くともに暮らす町のようです。
ジヴェのラジオ局でパーソナリティをつとめるベルギー人のジャーナリストのシャルルさんは、ベルギー人は(ワインを)一杯やりにフランスへ行き、フランス人はおいしいビールを飲みにベルギーにやって来る、なんて言っています。
映像は→こちら
豊かな自然に恵まれた地域ですが、ムーズ川の度重なる増水で、川沿いの家はなんども浸水したそうです。映像の中に、川に何本もの杭を打った場所が出てきましたが、barrage à aiguillesと呼ばれる小規模のダムです。杭を引き抜いたり打ったりしながら川の水位を調整します。
次回は、ノルマンディーのグルメシリーズです。
「今日、捕まえたウサギを自然に戻すことにした。森の入り口のところで放してやった後、一枚の看板に気がついた。『侵入禁止、罠あり』」
アルデンヌ県を巡る旅 その4 〜ランボーとヴェルレーヌ〜 [シャンパーニュ地方]
シリーズの四回目は、アルデンヌ県にゆかりのある詩人ランボーとヴェルレーヌの足跡を訪ねます。
17歳のランボー
詩人アルチュール・ランボーは、1854年、アルデンヌ県のシャルルヴィル(現在の県庁所在地シャルルヴィル=メジエール(Charleville-Mézières))で生まれました。従って、ここにはランボーにゆかりのある場所がいくつかあります。
映像をご覧いただく前に、少し説明を。(登場順です)
まずシュフィイ=ロシュ(Chuffilly-Roche)。ここには、母親の農場があり、ランボーもたびたび訪れたそうです。そして、ここで「地獄の季節(Une saison en enfer)」と「酔いどれ船(Le Bateau ivre)」を書いたとされています。特に「酔いどれ船」は、近くにあったロシュの貯水池(Lavoir de Roche)で発想を得たのではないかと言われています。
ランボー生誕の地シャルルヴィル=メジエールには彼の記念館(Musée Rimbaud)があります。ここでは、書簡、家族の肖像写真、本人の身の回りの品々、詩「母音のうた(Voyelles)」のオリジナル原稿などを見ることができます。
ヴェルレーヌ
ある時期ランボーと恋愛関係にあったとされる詩人ヴェルレーヌもアルデンヌですごした時期があります。1880年、ジュニヴィル(Juniville)にある借家で暮らし、その向かいにあった宿屋"Lion d'Or"で「叡智(Sagesse)」を完成させたと言われています。現在は、この宿屋が修復され、ヴェルレーヌ記念館(Musée Verlaine)になっています。ここでは、ヴェルレーヌが使った品々や家具を見ることができます。
映像は→こちら
尚、映像には出てきませんでしたが、シャルルヴィル=メジエールでは、記念館の他に、ランボーが家族とともに暮らしていた家が一般に公開されているそうです。
ランボー記念館:開館 月曜日以外の毎日
10:00~12:00 12:00~18:00
ヴェルレーヌ記念館:開館 5月1日〜10月末 月曜日以外の毎日
10:00~12:00 12:00~18:00
URL: http://juniville.free.fr/(仏語のみ)
最後に、ランボーは二十歳そこそこで詩を書くことをやめてしまい、その後は海外を点々としながら暮らしますが、最近になって、イエメンのアデンで1880年に撮影されたとされる写真に写っている姿が発見されました。
向かって右から二人目がランボーとされる人物 拡大
専門家が長い時間をかけて鑑定した結果、ランボーだと断定したのですが、これにも議論があります。
「私は小学校の教師をしています。今日、生徒が書いた詩を添削したのですが、ある生徒がこんな詩を書いてきました。 『先生はいい人、でもすぐバツを与えます。先生はいい人、でもきびしすぎます。先生はいい人、でも面白くありません。ああ、そうだよ、完璧な人などいないんだよ』」
アルデンヌ県を巡る旅 その3 〜要塞化された建物〜 [シャンパーニュ地方]
シリーズの三回目は、アルデンヌ県の建築物。
今回訪ねるのは、どれも要塞化された建物です。
この地域には要塞化された建造物がいつくもあり、ほとんど一集落につき一つの割合であるそうです。それは住居であったり、農家であったりと様々ですが、今回の映像に登場するのは、登場順に下記の4つです。
リュミニーの城塞ラ・クール・デ・プレ
(La Cour des Près)
1546年に、当時のリュミニー市長ルイ・マルタンが建てさせたルネッサンス様式の城です。当時、神聖ローマ皇帝カール5世の侵略から人民を守るために地域を要塞化したがっていたフランソワ1世の要請を受けて建てられました。当時、村人たちは、回りをお堀に囲まれた城に跳ね橋を渡って入れるようになっていました。ここは建設以来、代々同じ家系の女性によって引き継がれてきたそうです。現在は15代目。
ウストのサン=レミ教会
(Eglise Saint-Rémi)
16世紀から17世紀に要塞化された教会。ゴシック様式の扉口、その上の張り出し櫓、小塔と主塔を備えています。ここも村人たち全員が逃げ込めるようになっていたそうです。張り出し櫓の穴からは、扉口から入ろうとする敵に煮え湯を浴びせたそうです。教会とはいえ物騒な装置がついていますね。しかし、住民の防衛のためですから仕方ないのかもしれません。
ロクロワの要塞
1643年5月19日、フランスがスペインと戦った「ロクロワの戦い」の舞台となった星形の要塞都市。オリジナルの状態がここまできれいに保存されているのは珍しいそうです。ヨーロッパでは、イタリアのパルマ・ノーヴァ(Palma-Nova)に同じように保存状態のいい要塞都市があるそうです。この二つは、要塞を都市づくりの中に計画的に取り入れたという点でも高く評価されています。
シニー=ラベイのシャトー・ド・モントボワ
(Château de Montaubois)
フランス革命後に作られたお城。個人の所有で、15年前に修復が始まり、バロック風の内部は作業が完了しました。現在は、宿泊施設になっています。客室は5室。
映像は→こちら
次回は、アルデンヌ出身の詩人ランボーについてです。
「今日、義理の母が建設中の私の家を見にやって来た。感想は『私もこんな家に住みたいわ』と『自分の家にいるみたいにくつろぐわ』だった。いやな予感がする
」
アルデンヌ県を巡る旅 その2 〜おいしいもの〜 [シャンパーニュ地方]
シリーズの二回目は、アルデンヌ県のおいしい食べ物。
今回ご覧頂く映像の最初に登場するのが、リンゴです。ラロッブにある果樹園で収穫されているのは、片手の中に納まってしまうくらいの可愛いリンゴですが、そのまま食べるのではなく、ジュースやシードルの材料として使われるリンゴです。
また、以前のブログで紹介した生ハム(→こちら)の他に、ブダン・ブラン(boudin blanc (白いブダン))と呼ばれる腸詰めが良く知られています。ブダン・ブランはアルデンヌ県だけでなく、別の地域でも作られており、中の詰め物も様々ですが、主に白身のひき肉(鶏、豚、牛など)、卵、パン粉、ミルクが一般的です。
アルデンヌ県では特にルテル(地名)のブダン・ブラン(boudin blanc de Rethel)が有名です。詰めるのは、豚のひき肉と脂肪、牛乳、卵で、パン粉は使いません。
ルテルのブダン・ブラン
映像は→こちら
シードルを飲みながら食べていたドロドロの食べ物は、アルデンヌ風ベーコン・サラダ。ベーコンと刻んだ玉ねぎを炒め、レタスなどサラダ用の野菜と、さいの目に切って茹でたジャガイモを加え、ヴィネガーと塩・こしょうで味付けしたもの。どんなお味なんでしょ?作って食べてみないことはわかりませんね。
これを作っているキッチンには、美味しそうなデザート“ガトー・モレ(gateau mollet)”もありました。クグロフと同じようなお菓子ですが、クグロフより少しずんぐりしています。
ガトー・モレ
レストランは、Auberge de l'Abbayeというホテルのレストランです。(サイトは→こちら(仏のみ))
ホテルの農場で育てられた野菜、牛(Blonde d'Aquitaine種)、羊(Texel種)を使ったアルデンヌ料理を出してくれます。フライパンで炒めていたのが輪切りにされたルテルのブダン・ブランです。
最後は、ジャンダンにある農家直売の市場の様子が出てきました。
「今日、料理の苦手な妻がパスタ・サラダを作ることになった。料理を始めてすぐ、こう聞いて来た。『パスタは温かいの?冷たいの?』『そりゃあ、冷たいに決まってる』と私。その結果、茹でないパスタのサラダが出て来た」
アルデンヌ県を巡る旅 その1 〜豊かな森〜 [シャンパーニュ地方]
アルデンヌ県の三分の一は森です。フランスの中でも最も森に恵まれた県の一つ。その広さはざっと14万haで、森の半分は個人の所有です。
成長した木は切り倒して木材として売りに出します。大きくなった木を切ることによって太陽の光りがよく入るようになり、他の木が成長するのを助けることにもなります。
ランヴェには、森の博物館があります。ここを見学すればあるアルデンヌの林業について詳しく知ることができます。
19世紀初頭から末にかけて、木から作られる炭が豊富だったこの地域は、この炭を燃料とする金属加工業で栄えていました。現在でも鉄鋼産業に関わる企業の下請会社が数多く残っているそうです。
森の中にはちょっと毛色の変わった人もいます。農業のかたわら木に彫刻する元石切職人のフランソワさん。木は木でも、森に生えている木に彫刻を施します。
映像は→こちら
森を歩いていて、突然、こんな彫刻を見つけたらちょっと怖い気もします。
イノシシはアルデンヌ県のシンボル。県の紋章にも描かれています。
次回は、この地方のグルメを紹介する予定です。
「今日、犬を森へ散歩に連れて行き、リードをはずしてやった。すると犬は道をはずれて脱兎のごとく走り出したかと思うと、一人で歩いていたちょっと肉付きのいい女性に向かって吠え始めた。私はこう言ってあやまるしかなかった。『どうやらイノシシと間違えたらしいのです』」