犬のフンとDNA [イギリス]
スペインのある都市では、すべての犬のDNAを採取してデータベース化することになったそうです。
その目的は、飼い主が回収せずにそのまま道路に放っておいた犬のフンを識別するため。
フンのDNAが一致した犬の飼い主を突き止めて罰金を課すというわけです。
なんだかすごい徹底ぶりですね。ここまでやられたら無責任な行動はできません。
しかしこの方法、すでにロンドンでは実施されているそうです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年8月19日に放送)
ロンドンの公園では、こうして犬を散歩させる人の姿をよくみかけます。
この男性、愛犬のフンはこうして拾って、決められたゴミ箱に捨てました。
この公園には専用のゴミ箱があるようです。日本は家に持ち帰って始末することになっていますね。
さて、愛犬のDNAは綿棒を使って採取されます。
ちょっと嫌がってましたが苦痛を与えるような方法ではありませんから問題なし。
これを関係のラボに送ると、他の情報と一緒にデーターベースに登録されます。
放置されたフンがあればラボで分析され、犬のDNAのデータベースと照合され、飼い主が特定されます。
「罰金は80ポンド(約16,000円)ほどです。妥当だという人もいれば、高すぎるという人もいます。いずれにしてもきちんと始末できなければ犬を飼う資格はありません」
DNAの登録をしていない犬は公園を散歩することは許されません。
ロンドンでは犬のフンの始末に200万ポンドを費やしているとか。
ざっと4億円ほどにもなりますから、無視できない額です。
「少数派のマナーを守らない人たちのためにお金を使うなんておかしいです。ですから、罰金はそいういう人たちに対して課す税金のようなものなんです」と市の担当者の方。
このDNAシステム、現在はテスト段階ですが、来年の4月には法制化されるそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、消えた靴下の謎が解けた。うちの愛犬が今それを吐き出したところだ」
VDM (Vie de merde)より
ナポレオンとセントヘレナ島 vol.4 [イギリス]
TF1の取材班のセントヘレナ島滞在も残り少なくなってきました。
シリーズの最後は、少しずつ変貌を遂げる島をごらんください。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年3月20日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
本日、領事のミッシェルさんが案内してくれたのは、1815年にナポレオンが初めて島にやってきた時、2ヶ月ほど滞在した家です。
1959年にフランスに寄贈されました。部屋は一部屋のみ。寝室として使われたようです。
しかし、奥の扉を開けると、その向こうにいらっしゃったのが副総督のシーンさん。
建物の一部をシーンさんが借りているのだそうです。
「1年ほど前に改修をすませました。とっても快適ですよ」とシーンさん。
壁にはナポレオン関連のものの他に、フランス領事の歴史がわかるようなものも飾られています。
ナポレオンの家とお墓のある区域は、1857年にナポレオン三世が英国から買い取りしました。それ以来ずっとフランスの領地のままです。
ミッシェルさんは7代目の領事になります。
セントヘレナ島で暮らすフランス人は三人。
領事のミッシェルさん、ナショナルトラストで環境保護の仕事をしているシンティアさん。そして、もう一人、エンジニアのレミさんです。
セントヘレナ島で出会った女性と結婚し、お子さんもいます。
レミさん、酪農も営んでいるらしく週末は牛の世話をしています。牛はノルマンディーから連れてきたのだとか。
シンティアさんが島にはチーズはないと言っていましたが、セントヘレナ島のチーズが食べられる日が来るかもしれません。
とは言っても、牛が食べていたのは草ではなく葉っぱでした。どんな牛乳になるんでしょう?
さて、レミさんの本来の仕事は空港の建設。
「160人ほどの乗客を乗せた飛行機が就航するようになったら島の生活も180度変わりますよ」とレミさん。
山を平らに削って作られた細長い道は滑走路。ここで飛行機が離発着するようになれば便利になります。
観光客も増えるでしょう。島の経済も活性化されます。その代わり、これまでののんびりした生活とは違ったものになるでしょう。開港は2016年になるそうです。
ロングウッドの屋敷の屋根裏には様々なものが保管されています。その中の一つが、帆船ラ・ベル・プール号の模型。
1840年、ナポレオンの遺骸はこの帆船に乗せられフランスへと帰って行きました。
そして、TF1の取材班もフランスへ帰る日がやってきました。
出発前に島の名物の階段を上ってみることにしました。
なんとなくワーテルローのライオンの丘を思い起こさせる階段です。しかし、こちらの階段の数は699段もあります。
これはちょっとした登山ですね。頂上まで上がると、迎えの客船がやってくるのが見えました。
取材班も島に別れを告げて船に乗り込みます。
空港ができたらこの船の役割も終わりです。孤島というイメージもなくなりそうです。
南アフリカから一泊二日のオプショナルツアーが可能になるかもしれません。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、大急ぎで空港に両親を迎えに行った。途中、車から降りる私を見て、警備中の警官がニヤニヤしていた。で、自分がピンクのパジャマを着たまま出掛けてきたことに気がついた」
VDM (Vie de merde)より
ナポレオンとセントヘレナ島 vol.3 [イギリス]
ナポレオンの屋敷で一夜をすごしたTF1の取材班。翌日は、島の今を取材することにしました。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年3月19日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
フランス料理に登場するエスカルゴとはちょっと違ったタイプのカタツムリが生息している高温多湿のセントヘレナ島。
前回訪ねたナポレオンの住まいは、緑に囲まれ、のんびりと休暇を楽しめそうに思えましたが、もともとここは火山島です。
溶岩が固まって大きな岩となり絶壁を作る荒涼とした風景が広がる区域もあります。
容易には近づけない孤島は、自然の作った牢獄とも言えそうです。
「海は自由の象徴だと思うのですが、この島に閉じ込められているというのは皮肉なものですね」とシンティアさん。
3ヶ月ほど前から環境保護のためナショナルトラストの仕事をしています。
「これはここにしか生息していない木です。浸食により減少してしまったのを再生させています」
さて、町に戻ると、なにやらナポレオンの衣装を着込んだ方がいます。
島の観光事務所がフランスのお店に特注で作ってもらった衣装です。
ナポレオンがこの島に来てちょうど200年目に当たる今年は、記念のお祭りが開催されます。そして、観光事務所の所長さんがナポレオンに扮することになっています。
島には学校もあります。この日はフランス語の授業が行われていました。
ナポレオンがここに来なかったら、この島は今どんな風になっていたでしょう?
さて、ロングウッドでは、ナポレオンに随行してきた将校たちの家の修復が行われていました。
「ここにナポレオン時代に使われていた暖炉があります」と領事のミッシェルさん。
修復作業はフランスが雇用する職人さんたちの手で行われています。すべて1821年当時のままに再現しなくてはなりません。
このための費用は、ナポレオン基金が集めた寄付によって賄われています。
修復が完成したあかつきには、この建物は観光客が宿泊できるような施設になるそうです。
一方、白いお屋敷は総督の住まいです。
居間にはナポレオンが島にやって来た当時総督だったハドソン・ローの肖像画がかけられています。
そして、その向かいの壁にはナポレオンの肖像画。いわば敵同士の二人が一つの部屋で向かい合っていることになります。
ハドソン・ローのナポレオンに対する態度はかなりひどかったようです。
総督の屋敷の庭には島の主のような生き物がやってくるそうです。
その生き物とは・・・ジョナサンという名の亀。
「1882年に総督へのプレゼントとしてセイシェルから連れられてきたそうです。当時すでに50歳にはなっていたはずですから、それから計算すると現在183歳になります。ひょっとしたらもっとかもしれません」と獣医。
さすがに亀は長生きですね。島のことを一番よく知っているのはジョナサンかもしれません。
荒涼とした島にせっせと緑を植えるシンティアさん。
「この眺め。世界で一番美しいかもしれませんよ」
そこには大西洋に沈む夕日が輝いていました。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ダイエットしようと決意し、グリーンサラダを4パック買うことにした。レジに持っていくと係員が言った。『亀でも飼ってるんですか?』」
VDM (Vie de merde)より
ナポレオンとセントヘレナ島 vol.2 [イギリス]
1815年7月、ワーテルローの戦いに破れたナポレオンは皇帝の座を手放し、フランス西部のビスケー湾にあるエクス島で、自らが建てた“司令官の家”でフランス最後の7日間をすごしました。
ナポレオンはここからアメリカに渡ろうと考えていましたが、当時、海上封鎖していた英国艦隊を突破することはできず、自分の政治生命が終わってしまったことを悟ります。
そして、英国あてに降伏状をしたため、英国の戦艦ベレロフォンに投降します。
ベレロフォンはナポレオンを乗せ英国へと向かいますが、上陸を許されず、最後はセントヘレナ島へ送られてしまいます。
こうしてやってきたセントヘレナ島。ナポレオンはどんな暮らしをしていたのでしょう?
シリーズの二回目はその屋敷を訪ねます。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年3月18日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
敷地に入ると、フランス領事のミッシェルさんが迎えてくれました。
なにしろここはフランスの領土。当然ながら領事がいます。
ミッシェルさんは1997年からここで領事を務めています。その任務の一つが、ナポレオンの屋敷を当時と同じように復元すること。
緑の壁が印象的です。リビングルームでしょうか?
ナポレオンは数人の部下と召使ら総勢30人とともにこの家で5年半をすごしました。
奥へ入っていくと寝室があります。胃がんを患っていたナポレオンはこのベッドで息を引き取りました。享年51歳、1821年5月5日のことでした。
亡くなるまでの5年半、口述筆記で回想録を数多く残しています。
この島からは出ることはないと思っていたのでしょうか?それとも・・・。
窓のブラインドには穴が開けられ、外から中は見られませんが、内側から外が見られるようになっています。
ナポレオンはこうして外を眺めていたのでしょう。外には監視役の英国軍の兵士が3,000人もいたと言います。
英国がどれほどナポレオンを恐れていたかが伺えます。
ナポレオンの住まいは現在、観光客に公開されています。今では島の主なアトラクションの一つになっています。訪れる見学者の数は年間6,000人ほど。
「私の祖先がここでナポレオンに会ったんじゃないかと思うんですよ」と男性見学者。
そんな屋敷の上をドローンが飛んでいました。上空からの映像はこんな感じ。
火山岩のごつごつした感じの島に見えていましたが、ここは緑もあってそこそこ過ごしやすそうなところです。
庭にはナポレオンが植えた木が残っていました。
「今日は晴れて暑いですが、いつもは曇りで薄暗く湿気の多いところです。霧もよく出ます」と庭師のジョージさん。
そのジョージさんが島で一番美しいところに連れて行ってくれました。
そこは、ナポレオンのお墓。
とは言っても、中は空っぽ。遺骸は1840年にパリのアンヴァリッドに移されました。
しかしこうして毎日手入れされています。墓石には「ポナパルト」とだけ彫られているとか。
「この辺りはナポレオンが馬で散策を楽しんでいた場所。静かで気に入っていたようです」と庭師。
そして、近くにはバナナの木が実をつけていました。
取材班はこの後、ナポレオンの屋敷で一夜を明かしたようです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、17歳になる娘に、大人になったらどこで暮らしたいか訊いてみた。すると娘は、我が家をアパートにして転売するという。そこで、パパとママはどうなるのかと聞いたら娘が言った。『そりゃ老人ホームに入るのよ』」
VDM (Vie de merde)より
ナポレオンとセントヘレナ島 vol.1 [イギリス]
今年、ナポレオンがセントヘレナ島に流されて200周年にあたります。
そこで、フランスのTV局TF1が総力を結集してこの島を取材してきました。
セントヘレナは、アフリカから1,930キロ、ブラジルからは3,500キロの南大西洋に浮かぶ島。
フランスからは南アフリカを経由して向かいます。
パリからケープタウンまで空の直行便で14時間ほど。セントヘレナには空港がないため、ケープタウンからは船で向かいます。
島まではなんと5日もかかります。ナポレオン、とんでもないところに流されたものです。
いったいどんなところですごしていたのでしょう。
その映像を4回のシリーズで紹介します。
第一回目の今日は、島の中心地ジェームズタウンを訪ねます。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2015年3月17日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
5日間という長い船旅を終えて、やっと島が見えてきました。
火山島らしい岩肌の絶壁。1815年10月15日、ナポレオンも同じ風景を見たのでしょうか?
当時、ここまで来るのに3ヶ月かかったそうです。
島の面積は122k㎡。壱岐島よりやや小さめです。
ここからは小型船に乗り換えて、ジェームズタウンの港へと向かいます。客船は8日後にまた迎えに来ることになっています。
セントヘレナ島は1502年にポルトガル人によって発見され、1657年にイギリス東インド会社の所有となり、現在は英国領になっています。
ジェームズタウンには通りが2つあり、一つはナポレオン通りと呼ばれています。
あるホテルに入ってみると、壁一面にナポレオンの絵が飾ってあります。支配人の希望だそうです。
「昔はナポレオンは過小評価されていましたが、もっと見直されるべきだと思いますよ。島にとっては大変重要な役割を果たしましたしね」と支配人。
玄関にはナポレオンの像が置かれています。
「昔はもっと細身だったんですよ。でも、島に来てからは太ったということらしいので、こんな風に膨らませました」と支配人。
船が到着すると港は荷下ろしで忙しくなります。なんと作業車にはNISSANの文字!日本製がこんなところにも進出してました。
それはともかくとして、届けられた荷物はこうして倉庫に保管されます。
島の人口は4,250人ほど。意外に多いですね。
車でやってきた女性はここで環境保護の仕事をしているシンティアさん。お店が閉まるまえに食料を買いにやってきました。食料品は船で運ばれてきたものがほとんどです。
山の上から見下ろしたジェームズタウンの全景。平地はここしかないそうです。
山の上には大砲が設置してあります。当時、ナポレオンは怪物のように思われていたのか、風刺画には島の上に腰を下ろす巨人として描かれていました。
この日、取材班は観光客とともに、セントヘレナ島総督であるマーク・ケイプさんの夜会に招待されました。
「英国とフランスはナポレオンを介してとても重要な関係で結ばれています」と総督。
翌日、取材班は、ナポレオンが暮らしていたロングウッドへと車を走らせました。
門をくぐって集落の中へと入っていきます。
「ナポレオンの家はどこ?」
「ああ、あっちの方だよ」
かつてナポレオンのいた地域は3,000人もの兵士に包囲され誰も近づくことはできなかったそうです。
教えられた道を先に進むと、いよいよナポレオンが暮らした屋敷が見えてきました。
この区域はフランスの土地です。ナポレオン三世が英国から買い取ったのです。
フランス国旗がはためいていました。
次回はいよいよ屋敷の中へと入っていきます。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ファーストネーム変更届けが受理されなかった。 僕は二十歳で、名前を“ナポレオン”という」
VDM (Vie de merde)より
クリスティーズの帽子 [イギリス]
東京はまだ雪こそ降ってはいないももの寒い冬が続いています。
そして海のむこうのヨーロッパにも大寒波がやってきたようです。
風邪をひかないように皆さん分厚いコートにぐるぐる巻きのマフラーで外出されているようですが、忘れてならないのが帽子。防寒には帽子が役に立ちます。
最近、英国では帽子をかぶる人が少しずつ増えているとか。
そこで、年間で10,000個あまりの帽子を製造するというオクスフォード近郊にある工場を訪ねてみることにしました。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2014年12月29日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
イギリスといえば、この山高帽。女性の皆さんも華やかな帽子をかぶっておられます。
この映像、アスコット競馬場での一コマでした。
そして訪ねたのが、世界でも有名な帽子メーカーの一つ、クリスティーズ(Christys’)。
帽子の作り方は、なんと241年前からずっと同じだそうです。
「蒸気は羊毛を伸ばすのに最適なんです。蒸気を使えば自分の思う通りの形に作り上げることができます」と工場の方。
なんと機械はフランス製。100年前にエソンヌ(Essonne)からこの地に運ばれてきました。
そして、作り方も工員が伝授したとか。帽子のアイロンかけもその頃と変わりがないそうです。
なんだか年代物のアイロンを使っていますね。帽子のアイロンかけってこうしてやるんですね。初めて見ました。
さて、別の作業場では、ヘルメットのようなものが出来上がっていました。
よく見るとヘルメットではなく英国警察の帽子でした。
「うちは1773年の創業です。そして第一次世界大戦前には世界的に知られる帽子メーカーになりました」
昔の白黒映像を見ていると、帽子をかぶっていない人を探し出すのは難しいくらいです。
第二次世界大戦後になると、その流行も下火となりますが、英国では帽子をかぶる習慣が続いていました。
「お客様はわが社の歴史や、これだけ長く続いていることに大変興味を示されます。そしてアメリカからわざわざ帽子を求めにやってくる観光客もいます」とお店の方。
帽子をお求めになるのは年配の方々だけと思いきや、若い人も少なくないそうです。
シャーロックホームズの帽子も並んでいましたが、このモデルで47ポンド(8,800円)ほど。他のは少なくとも100ポンド(18,800円ほど)はするようです。
少々お値段ははりますが、型崩れせず長持ちする帽子なのでしょう。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、トイ・ストーリー3を見に行った。映画館を出ると、カウボーイハットをかぶった男性をみかけたので「ヘイ、ウッディ!」と声をかけた。すると向こうが『やあ、ミスター・ポテトヘッド』と返してきた」
VDM (Vie de merde)より
赤い電話ボックス [イギリス]
8月が終わったとたん、猛暑日が姿を消して、トントン拍子に秋がやってくるのかと思っていたら、なんだか中途半端にいつまでも暑い日が続きます。
まだまだ半袖は手放せません。ひょっとして、終わったと思っていた夏がまだまだ続いているんじゃないだろうか?などと思う今日この頃です。
さて、本日はイギリスからの話題です。
英国の名物と言えばいろいろありますが、その中の一つが赤い電話ボックス。
しかし、携帯電話の普及で存続があやしくなってきました。そこで代案登場です。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局France 2で2014年10月2日に放送)
1924年以来、イギリスの通りを席巻してきた赤い電話ボックス。
スコットランドの片田舎にも、ご覧の通り、設置されています。
約一世紀近く変わらないこの形。英国のシンボルのような存在にまでなってしまいました。
しかし、今では携帯電話の普及により、しだいに使われなくなり、ご覧のように荒れ果てた電話ボックスさえ出てきてしまいました。
そこで登場したのが緑の電話ボックス。いや、よく見るとsolarboxと書いてあります。
「これは、モバイル機器の充電をするためのボックスなんです」とソーラーボックスの共同設置者の方。
中には4種類の充電プラグが用意されています。そして、ボックスの屋根にはソーラーパネルが設置され、電気を供給しています。
「このスタイルのボックスは英国独特のものです。これをもう一度よみがえらせ、近代的で実用的なものにできればいいと思ったのです」と先ほどの女性。
新しい物好きのロンドンっ子がすでにこのボックスを使っているそうです。
「良い思いつきですね。私の携帯なんてすぐに電池がなくなってしまうの。だからこういうのがあると便利です」と女性。
「良い考えだと思うけど、充電には時間がかかるでしょう。ロンドンじゃ、そんな時間ないのよ」なんていう人もいます。
確かにごもっともなご意見です。
充電し始めたら、ボックスを離れるわけには行きません。そして、あのボックスの中でじっと待っているというのはちょっとしんどいですね。
しかし、将来の技術の発展で、充電時間が短く、長時間保つ電池が発明されるのも時間の問題かもしれません。
そうなれば、このソーラーボックスが活躍する時代がやってきます。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、お茶をこぼして壊したパソコンが直ったので引き取りに行った。会計カウンターに寄ったら、今度は係のやつが僕の携帯にコーヒーをこぼした」
VDM (Vie de merde)より
連合王国 [イギリス]
イギリス人のあるビジネスマンが、今回のスコットランドの住民投票で独立反対派が勝つ、というのに900,000ポンド(16,000万円ほど)を賭けたそうです。
結果は皆さんご存知の通り。この方、結局、約140万ユーロ(約2億円)を手にすることになったそうです。
それにしても900,000ポンドを賭けるとは、よっぽどか自信があったのでしょう。
この男性、まずは6月に、ブックメーカーWilliam Hillに400,000ポンドを、その後8月に200,000ポンドを2回、さらに住民投票の前々日に100,000ポンドを賭けたのだそうです。
ふたを開けてみないと分からないとマスコミが口を揃えて言っていた時期に、さらに賭け金を積むとは、ただものではないですね。
ともあれ、イギリス分裂というまさかの事態にはなりませんでした。
キャメロンさん、今頃はほっとしていることでしょう。イギリスの国旗も変わらず今まで通りです。
日本の国旗屋さんが、独立派が勝てば、倉庫に大量に保存してある英国国旗が売れなくなると心配していたらしいです。確かに、一国の問題ではなくなってしまっていたのですね。
さて、本日はそのイギリスの首都ロンドンからの映像です。
あるイギリスの若者が、ひと駅を地下鉄より速く走ることができるか実践してみました。
2014年7月12日、午前11時53分、ブラックフライアーズ駅(上記地図の青印)で地下鉄に乗ります。
そして、隣りのマンション・ハウス駅(赤印)で地下鉄を降り、その隣りのキャノン・ストリート駅(緑印)に向かって陸上を走ります。
その間、地下鉄もキャノン・ストリート駅に向かって走っています。
果たして、どちらが先に到着するのか・・・
下記ウィンドウの▸をクリックしてビデオをご覧下さい。
(少々BGMがうるさいのでボリュームを落として見た方が良さそうです)
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ロンドンで仕事を探して3ヶ月になる。100通近く履歴書を出して、やっと見つけた仕事の勤務地は・・・フランスだった」
VDM (Vie de merde)より
スコットランド独立??? [イギリス]
英国を構成するカントリーの一つスコットランドでは、今年9月18日、英国からの独立の是非を問う住民投票が行われることになっています。
そんな中、あるお菓子屋さんがユニークなケーキを作って売り出しました。
その名も「インディペンデンス・ケーキ」。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局LCIで2014年8月18日に放送)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
それがこのケーキ。
ラズベリーとホワイトチョコのカップケーキですが、次の3種類があります。
A. スコットランドの旗の描かれたケーキ
B.?マークのケーキ
C. 英国国旗の描かれたケーキ
独立にYesの人はAを、Noの人はCを、どちらか決めていない人はBを選ぶことになっています。
「私は独立には反対ですからCのケーキを選びます。スコットランドは英国に属している方がいいです」と女性。
「皆がどんな反応を示すのか興味があります。面白いですね」と別の女性。
壁には、その週の販売状況を記したポスターが貼ってあります。
それによると、Yesが39.7%、Noが41.2%、どちらでもないが19.1%となっています。
YesとNoがわりに拮抗してますね。
それはともかくとして、実際の調査によると、今のところ、独立に賛成する人がやや増加してはいるものの、反対の人が多数をしめているそうです。
いずれにしても答えは一ヶ月後に出ることになります。
それにしても、スコットランドの旗ってこんな模様だったんですね。
イングランドの旗はサッカーのワールドカップで良く見かけましたが、スコットランドの旗は初めて見るような気がします。
現在の英国国旗(ユニオンジャック)は、下記のようにイングランド、スコットランド、アイルランドの旗が一つになって出来上がったそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、僕のおじいさんは、バースデーケーキに年の数だけきちんとロウソクが立っていないといやだと言う。おじいさんは93歳になる・・・」
VDM (Vie de merde)より
Sumo Run [イギリス]
昨日、7月27日(日曜日)、ロンドンのバターシー・パーク(Battersea park)で、スモー・ラン(Sumo Run)というイベントが開催されました。
スモーとは、もちろん相撲のこと。相撲スーツを着込んで走るのがスモー・ランです。
百聞は一見に如かず。どんなものか下記の映像をご覧下さい。(念のため、今年の映像ではなく去年の映像です)
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(YouTubeで2013年10月7日に公開)
着ぐるみは着ぐるみでも風船のように膨らました軽い着ぐるみのようです。
これを着て、5キロを走るそうです。
会場のバターシー・パークはテムズ川沿いの公園。
ここには日本のお坊さんが建てたお寺があるそうです。
参加費用は59ポンド(約10,600円ほど)。
そして、寄付をしたい参加者は、参加費用にいくらか上乗せして支払うこともできます。
なにしろこのイベントは、アフリカの子どもたちの教育を充実させるためのチャリティ・ランなのです。
そして上乗せして支払った参加者には特典もあるようです。
さらに興味のある方は写真集をご覧下さい→こちら。
このままの格好で地下鉄に乗ったり、衛兵と一緒に写真を撮ったりと皆さん楽しそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、身体の節々が痛いし、息切れがしてきた。マラソンでもやったのかって?いやいや、ちょっと慣れない “掃除” という名のエクスストリームスポーツをやったもんでね・・・」
VDM (Vie de merde)より