パリの地方人 その4 〜 アルザス人 〜 [パリ]
シリーズの四回目は、ドイツと国境を接するアルザス地方からパリにやって来た人々の物語です。
パリと言えば、エッフェル塔。言うまでもなくギュスタヴ・エッフェルの作品ですが、最初にこの案を思いついたのは、アルザス出身の建築技師モーリス・コシュラン(またはモーリス・ケクラン)です。コシュランは、セーヌ川の中州にある自由の女神像の骨組みも設計しました。(因に像のデザインをした人もアルザス人だそうです)
彼は、エッフェルの建設会社で働くためにパリにやってきました。1879年のことです。エッフェルの引退後は会社を引き継ぎ、代表としての務めも果たしたそうです。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2009年11月5日に放送)
人が移動すれば食べ物も一緒に移動するのが世の常というもの。アルザス料理を食べさせてくれるお店もパリにはたくさんあります。
たいていブラッスリースタイルのお店です。ビストロがおいしい料理にワインなら、ブラッスリーはおいしい料理にビールです。
フライドポテトが付け合わせのステーキや、シュークルート、タルト・フランベなどが食べられます。
サン・ジェルマン・デ・プレにあるBrasserie Lippは、1880年創業の老舗です。アポリネール、ヴェルレーヌ、プルーストなどが出入りしていたことで良く知られています。
さて、次のアルザス人はテェオフィル・バデ(Théophile Bader)。あのデパート、ギャルリー・ラファイエットの創業者です。
1893年、二人の従弟とともにラファイエット通りに小さな店ギャルリー・ラファイエットを開業します。お客が売り場を行ったり来たりしながら買い物ができるような店だったのでギャルリーという名前になったとか。当時は革新的なシステムだったそうです。
開店から三年後には建物全体を買い取り、1905年には周辺の建物も手に入れ、今のような百貨店へと成長しました。
アルザス人はパリに学校まで作っています。
1870年に勃発した普仏戦争でフランスは負けてしまい、アルザス地方はドイツ領になります。第一次世界大戦でフランスが取り戻すまでの間、ストラスブールからパリへと避難したアルザス人がたくさんいたそうです。その中の知識人によってこの学校が作られました。現在、イル・ド・フランス地域圏には25万人のアルザス人がいるそうです。
番組の最後を飾っていたのは、エッフェル塔と自由の女神像でした。アルザス人の誇りのシンボルのようにも見えます。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、彼氏と出会ってちょうど9ヶ月目。二人っきりでお祝いをした。彼が言った。『最初にキスしたのはエッフェル塔の上だったね。これまでの人生で一番すてきなキスだった』そりゃあ、よかった。でも、あたしは一度もパリに行ってないんですけど」
VDM (Vie de merde)より
carotte さん、こんにちは。
Brasserie LIPP のサイトを今、見ていたら、
同じグループ Groupe Bertrand のレストランに
BARAMAKI という店名があったので、
日本語かなと思って、そのサイトを見るとスシバーでした。
by wattana (2011-06-10 19:58)
wattanaさん、おはようございます。
気がつきませんでした。今見たら、ありました、BARAMAKI。しかも回転寿司です。あのプランタンの4階(フランス式には3階)にあるらしいですよ。BARAMAKIの意味が分かっててこの名前をつけたんでしょうかね???回転寿司なら「ばらまき」のイメージがないわけじゃないですけど、どうも間違った認識のような気がしますね ^^。
よく見るとアンジェリーナもこの系列ですね。
by carotte (2011-06-11 09:22)
carotte さん、こんにちは。
BARAMAKI の回転寿司コンベアのレイアウト、日本とは違いますね。
アンジェリーナも同じグループですね。気がつきませんでした。
by wattana (2011-06-11 16:41)
wattanaさん、こんばんは。
詳しい写真が出てますね。
Groupe Bertrandは手広くやっているみたいです。
by carotte (2011-06-11 19:42)
フランス人のつぶやき、これが本当の「口は災いのもと」ってやつですね。
by opas10 (2011-06-12 17:08)
opas10さん
エッフェル塔でキスしたお相手はいったい何人いるんでしょうね ^^
by carotte (2011-06-12 21:05)