フランスの美しい広場3 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]

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暖炉とストーブ 4 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]

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コンフレリー 1 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]

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カリヨンのメロディ [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]

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風見鶏の村 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]

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冬仕度 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]
ここ数日、夜が寒くて暖房を入れないとやり過ごせなくなってきました。
冷房が必要なくなってからほったらかしにしていたエアコンですが、ここへきて慌てて埃を払ったり、フィルターをお掃除したりと、とりあえずいつ冬が来てもいいように準備は完了です。
さて、フランス北部のノール県やパ=ドゥ=カレー県では、冬の準備で、燃料屋さんが大忙しです。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2014年11月10日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合はウィンドウの下の文字をクリック)
映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。
まずは石油屋さん。
9月くらいから徐々に石油の配達が忙しくなってきました。
家によってはアクセスが簡単ではない場合もあります。長くて重いホースを引きずって、ちょっと大変ですね。
一般家庭の家ですが、石油は地下のタンクに蓄えておくようです。
今年は去年より少し石油代が節約できたとか。
「以前より10%ほど安くなってるからねえ」と石油屋さん。
そして、今でも石炭をつかって暖房している家もあります。
シャルルさん、90歳もその中の一人。
配達用のトラックにはぎっしりと石炭のつまった袋がいくつも積み込まれています。
ジャン=リュックさんは30年も前からこうして石炭の配達をしています。
「一日に9トン。こうやって毎日配達してます。しっかりと肩の上に乗せるようにして運びます」
一日に9トンも配達とは!やり方を間違えるとぎっくり腰になりそうな・・・。
シャルルさんのお宅ではすでにたくさんの石炭が蓄えられていました。
この石炭を使って冬の間の室温を25度に保つとか。
今年は、石油も石炭も価格が少し下がっているそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、記録的な事件が起きた。8月21日だというのに、自動で暖房のスイッチが入った!」
VDM (Vie de merde)より
文化財のプール [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]
暑い夏に、ひんやりした水のプールで泳ぐのは気持ちのいいものです。
フランス北部の町ブリュエ=ラ=ビュイシエール(Bruay-la-Buissière)には、築77年のプールがあります。今でも現役です。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2013年8月3日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
アールデコ調のこのデザイン、豪華客船がモデルになっています。
今から77年前の1936年8月1日にオープンしました。
プールサイドはいたってシンプル。床のタイルがアクセントになっています。
全体にシンプルでありながら、どこかお洒落なのがアールデコ。
こうして映像を見ていると、とても築77年のプールには見えません。手入れが行き届いているからでしょうね。
歴史的建造物として文化財の指定を受けていながら、現役として活躍しています。
毎日100人ほどの入場者があるとか。
「素晴らしい建築物ですよ。他にはこれだけのものはありません」とビキニの女性。
「私が泳ぎを教わったのはここなんですよ。娘もこの子も同じです」と年配の女性。
1936年と言えば、反ファシズムを掲げた連合政権フランス人民戦線の時代です。
当時、厳しい労働環境にあった人々が、有給休暇を勝ち取ったばかりでした。
その人々が休暇を楽しめるようにと作られたのがこのプールだったそうです。
「有給休暇というのは“気晴らし”と同義語だったんです。薄暗い社会から一刻も早く離れようというわけだったんですね。ここでは泳ぎながら美しい文化財を再認識することができますよ」と男性。
新しい世代の子供たちもここで泳ぎを楽しみます。
「今日、水泳帽をかぶっていないからと、プールに入るのを断られた。僕は、ハゲなんだけどねえ」
VDM (Vie de merde)より
北の夏の海 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]
今日は、コート・ブルーをお休みして、フランス北部の夏の海を訪ねてみましょう。
ノール県のダンケルク(Dunkerque)。こちらもバカンスを楽しむ人たちで賑わい始めました。
その皆さんに人気なのがムール貝。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2013年7月9日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
岩がごろごとした海岸にやってきたフィリップさんとその娘さん。
なんとここでムール貝が穫れるそうです。
岩のくぼみでゴシゴシやるときれいになるそうです。
なんだか乱暴なやり方に見えますが、これが一番良いそうです。
岩からなにやらはぎ取っていますが、どうやらあれがムール貝らしい。
ずいぶん簡単に穫れますが、貝の回りには藻がたくさんついていそうです。そこで足でゴシゴシとなるわけです。
ここから数キロ離れたところにあるレストランでは、ムール貝の調理の真っ最中。
ランチに出す量は全部で45キロほどになるそうです。
「お客さんのほとんどがムール貝を注文するんです」とマガリーさん。
海のそばで、家族でテーブルを囲んでいただくムール貝は、白ワイン蒸しでもよし、クリーム入りでもよし。
そして、ムール貝につきものがフライドポテト。
お鍋一杯のムール貝とフライドポテトを交互にいただけばお腹いっぱいになります。
「新鮮なムール貝が食べられるのがいいですね。お天気もいいですし、野外で食べるのにぴったりですよ」と男性客。
北の海は、地中海の色とはだいぶ違いますが、ビーチの人の数もちょうどいいくらいでのんびりできそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、ギリシャでバカンスを過ごしている。足がひどく日焼けしてしまったので薬を買おうと薬局へ。ギリシャ語が話せないので、お店の人に足を見せると、すぐに分かったという顔をして奥へ引っ込んだかと思うと、カミソリを手にして戻って来た」
VDM (Vie de merde)より
ラマダン [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]
先週の金曜日からイスラム教のラマダンが始まりました。
ラマダンは一ヶ月続きますが、折悪しく、ロンドンオリンピックと時期が同じ。
イスラム教徒のアスリートにとっては困った状況です。
多くの選手が断食を延期することにしているそうですが、それに対しては厳しい見方をする人たちもいるようです。
さて、フランスにはイスラム教徒が450万人もいるそうですが、ラマダンをどんな風にして過ごしているのでしょうか?
フランス北部の都市アラスにお住まいの信者のお宅を訪ねてみました。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2012年7月20日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
一家を訪ねた日はラマダンの前日。
夕食にはたくさんのごちそうが並びます。
「食事の始まる時間は午後9時半ですから、準備は夕方6時くらいから始めます。これが一ヶ月続くことになります」と一家の主婦。
断食は翌日の日の出から始まります。
断食と言っても、日の出から日の入りまでの昼間だけ。
しかし、水一滴も口にすることはできません。喫煙もダメ。
日が沈んだ夜になるとこうして一族がテーブルを囲んで食事が始まります。
昼間は何も口にすることができないので、夜の間に一日分を食べておくわけです。
しかし、大量の食料を摂取した夜は喉が渇くので、日の出前の翌朝3時半頃には起きて、たっぷり水分を補給します。
「最初は大変ですが、そのうち慣れてきます」と男性。
とは言うものの、猛暑の夏に水一滴も飲めないとなると大丈夫なのかと心配になります。
日本には約5万人のイスラム教徒が暮らしているそうです。フランスの90分の1。
フランスにはたくさんのイスラム教徒がいるんですね。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、事務所でチョコレートケーキを食べているところを上司にみつかってしまった。上司が言った。『ラマダンじゃないのか?』『いえ、私はイスラム教徒ではありませんから』と私。じっと私を見つめた後に上司が言った。『ラマダンした方が良いんじゃないの』」
VDM (Vie de merde)より
フランスの美しい通り その4 [ノール=パ=ドゥ=カレ地方]
シリーズの四回目は、フランス北部の都市リールのモネ通り(rue de la Monnaie)。
Vieux-Lilleと呼ばれる旧市街地にある通りの一つで、ルイーズ・ドゥ・ベティーニ広場とコンセール広場をつないでいます。
1980年代、この地域は整備の対象からはずれ、移民の住むあまり評判の良ろしくない界隈になっていました。
しかし、その後、再開発が行われ、今のように買い物客でにぎわう繁華街になったそうです。

下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2012年6月7日に放送)(▸をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
フランドル地方で良く見かけるレンガ造りの建物。
ある軽食屋さん(上記地図の青印)では、改修工事の最中に、柱に模様が現れました。
それは、ユリの花とひげ剃り用の皿。このモチーフが縦に交互に描かれています。
ユリはリール市のシンボル。
「いろいろ調べたところ、この建物は1726年に建てられたということが分かりました。当時ここはサン=ピエール通りと呼ばれていて、床屋やカツラ屋があったようです。恐らく、ここがその店だったのだと思います」と店長さん。
この界隈の風景は、当時と今ではだいぶ違っていたようです。
昔は通りを運河が流れていました。この地域に水を供給するためです。
19世紀には、衛生上の理由から運河は埋め立てられてしまいました。
19世紀、リールの10才以下の子供の死亡率は60%もあったそうです。かなりの死亡率で、運河は相当、汚かったようです。
モネ通りには、13世紀にフランドル伯爵夫人ジャンヌが建てさせた病院Hospice Comtesseがあります(上記地図の赤印)。
出来たばかりの頃は、もっぱら病気の貧しい人たちや巡礼者などを受け入れていたそうです。
フランス革命で病人は別の病院に移され、ここは高齢者と孤児専門の施設に代わりました。
そして、現在は博物館になっています。
建物は、15世紀と17世紀に火事にあいますが、そのたびに建て直されてきました。
番組では、最初に美しい大きな天井が映っていましたが、一階の天井で15世紀のもの。
タイルとレンガの部屋は台所。タイルはリールで作られました。
ドーム型の天井は礼拝堂で、17世紀に建て替えられた時のものです。
さて、この通りにも名物のお菓子があります。この地方のお菓子メルヴェィウ(merveilleux)。
人によって作り方には多少の違いがあるそうですが、メレンゲ全体をホイックプリームでおおい、削ったチョコレートをまぶしたのがこのお菓子。
一つで75gほどしかないそうです。カロリーの方は軽くはなさそうな……。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、鼻を火傷して病院に行った。ライターがなかったので、ガスコンロで火をつけようとしたのだ」
VDM (Vie de merde)より