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パリ セーヌ川の橋 その2 [パリ]

 パリのセーヌ川に架かる橋の中には車の通れない歩道橋が幾つかあります。

 

 シリーズの2回目は、その中の2つを紹介しましょう。

Paris_Paris.jpg

 

 下記ウィンドウのをクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局France 3で2016年4月19日に放送)(をクリックしても映像が出てこない場合はウィンドウの下の文字をクリック) 

映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。



Sur les ponts de Paris : les passerelles sur la Seine, capitales du romantisme

 

 歩道橋にもそれぞれ個性があります。

 

 中でも一番有名なのがポン・デ・ザール(pont des arts)(芸術橋)(上記地図の赤印)。

 

 1801年〜1804年に最初の橋が作られ、その後、1984年に再建されました。

 

 去年まで、ものすごい数の南京錠が橋の欄干に取り付けられていました。

 

 恋人たちが永遠の愛を誓い合い、南京錠を橋の欄干に取り付け、鍵はセーヌ川に投げ捨てる、というのが儀式のようになったためでした。

 

 「たくさんの人がそうしてると聞いて、僕たちもやってみました。何しろここはパリですからねえ」と男性。

 

 しかし、その重みに耐えられず、一部の欄干の金網が壊れてしまい安全性が疑問視されるようになります。

 

 そして結局、パリ市は撤去することを決定。今では金網の代わりにガラスが取り付けられています。

 

 だいぶスッキリして、本来の橋の姿がわかるようになっています。

 

 しかし、それでも南京錠がゼロになることはなさそうです。

 

 さて、ポン・デ・ザールは左岸のフランス学士院と右岸のルーブル宮殿をつなぐ橋です。そのため多くの知識人がこの橋を利用しました。

 

 その中の一人がヴェルコール(Vercors)でした。

 

 「ヴェルコールは『海の沈黙(Le Silence de la mer)』(1942年刊)を書いた作家です。1941年、パリはナチス・ドイツの占領下にありました。彼はこの橋の上でレジスタンスの仲間とともに密かに本を手渡して、英国に行こうとしていたのです。これが出版社Les Éditions de Minuitの起源なんです」と女性。

 

 「海の沈黙」はこの出版社から出版された第1号の書籍でした。

 

 さて、もう一つの歩道橋が、ベルシー公園とフランス国立図書館を結ぶシモーヌ・ドゥ・ボーヴォワール橋(Passerelle Simone de Beauvoir)です(上記地図の緑印)。

 

 完成したのは2006年。パリで一番新しくて長い橋だそうです。

 

 「全長は304メートルあります。中央のレンズ型の部分はアルザスのエッフェル社で作られ、ここで組み立てられました」

 

 都会の喧騒を逃れたテラスのような橋です。

 

 「木と金属の両方が使われているところや、光の入り加減がとてもいいですね」と女性。

 

 そしてここから川下に少し行くと、パリで一番古い橋ポンヌフがあります。

 

 次回に続く。

 

 

 

******** フランス人のつぶやき *******

 

 

「今日、僕の自転車の南京錠は、鍵を使っても開かないくらい丈夫にできている」

 

VDM (Vie de merde)より




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