セーヌ川下りの旅 その3 〜 古い修道院のある村 〜 [フランスの渓谷]
前回紹介したガイヤール城のある町レ・ザンドリを出発し、セーヌ川をさらに下って行くと、ノルマンディ地方の首都ルーアンに到着。とは言っても、今日紹介するのはここではなく、蛇行するセーヌにそってさらに左右にカーブを切りながら進んだ先にあるジュミエージュという小さな村です。
川下りは下記地図の青いピンから赤いピンまでの4泊5日の旅。錨のマークは停泊地。それぞれ印をクリックすると説明が出てきます。(川下りの船旅についてはシリーズその1をご覧下さい)
今回のジュミエージュは緑の印のあるところ。
上空から見ると、ほとんど中州と言ってもいいくらいの地形の中にあります。ここには橋はなく、川向こうへの移動はもっぱら渡し船を利用します。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2011年6月9日に放送)
人口2,000人足らずの小さな村のお宝は、7世紀に作られたというサン=ピエール修道院。現在は壊れかけた建物が残っているだけですが、保存状態はすこぶる良好。
この修道院にはちょっとした伝説があります。
7世紀中頃、日本では大化の改新が始まって10年後くらいの頃です。フランク王国の王クロヴィス2世が聖地詣でのために家を留守にしている間に、二人の息子が反乱を起こします。幸い、戻った王が反乱軍を制圧します。王は涙をのんで二人の息子を処刑しようとしますが、妻バティルドの助言で、足の神経を焼くことにします。動けなくしてしまえば、父親に歯向かうことはできなくなるというわけです。昔の刑は残酷です。足を焼かれた二人は舟に乗せられ、セーヌ川を下流へと流されて行きます。これを絵にするとこんな感じです。
舟がジュミエージュあたりにやって来たところを修道院の設立者である聖フィリベールに見つけられ、保護され、二人は僧侶となります。これを知ったクロヴィス2世は修道院を訪れ、息子たちを助けたお礼に、僧侶たちに土地を遺贈したとか。
しかし、この話はまったくの作り話だそうです。クロヴィス2世は22歳の若さで亡くなっているため、その息子が反乱を起こすのは不可能。3人の息子たちは順に王位についており、僧侶になったものは一人もいないそうです。いったい誰がなんのためにこのような伝説を思いついたのやら......。
修道院は、その後、ヴァイキングに襲われたり、宗教戦争に巻き込まれたりしながらも、破壊と略奪を乗り越え存続しますが、フランス革命後、ある材木商に売却されると、建物は壊され石材として使われ始めます。1852年にルペル=コワンテ家がここを買い取ったことで、破壊にストップがかかります。1862年には国の文化財に指定され、今では、木々に囲まれたフランスで最も美しい廃墟と言われるほどになっています。
渡し船は一日20往復。所要時間は5分。毎日100人ほどの人が利用するそうですが、どうやら無料のようです。
向こう岸に渡ると、果樹園が広がっています。この地方独特の微気候が果物の栽培に適しているそうです。
イヴさんはこの仕事を始めて7代目。この時期はさくらんぼの収穫の真っ最中。ナポレオンという種類のさくらんぼだそうです。他にも、プラム、梨、リンゴなどを栽培しています。
果物が実るということは、その前に花が咲くということ。見学なら4月、5月がいいそうです。花より団子という方は、もう少し遅い方がよろしいようで.............。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日は母の日。プレゼントはスーパーのレジでもらったバラ一輪。子供が三人もいるというのに。自分たちを、自然が偶然作り出した果物かなんかだとでも思ってるのかしらん」
VDM (Vie de merde)より
サクランボの木は思ったよりも低木に仕立てていますね。
ナポレオンという品種のさくらんぼ。聞いたことがあります。
花が咲いているときも綺麗でしょうね。
by orange (2011-06-22 01:28)
orangeさん
あそこ一面に花が咲いたらやはりキレイですね。
この辺りの気候のおかげで他のに比べてやや糖分が多いそうです。
あまくて美味しいさくらんぼのようです。
by carotte (2011-06-22 16:52)
あの修道院、とても大化の改新のあたりのものとは思えないほど、保存状態がよいですね。相当に手を掛けているのでしょうか。
by opas10 (2011-06-26 16:46)
opas10さん
ルペル=コワンテ家ががんばったんでしょうね。
こういう建造物の保存に関しては熱心ですね、あちらの方は。
by carotte (2011-06-26 21:54)