アルザス・ワイン街道 その5 [フランスのワイン]
シリーズの最後は、さらに25キロほど北上したところ、アルザス地方の大都市ストラスブールからそう遠くないところにあるヴァンゲン(Wangen)を訪ねます。(下記地図の紫印)
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この村の自慢は、村にある水飲み場。教会から課せられた重い税を、皆の力で廃止させた誇りのシンボルです。
まずは、この村のワイン農家の一つを訪ねてみましょう。
下記ウィンドウの▶をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2011年9月2日に放送)(▶をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
ワイン農家Vins et Crémant d'Alsace Thierry-Martinでは、そろそろブドウを収穫して仕込みに入ろうかという大事な時期にさしかかっていました。
糖度計でブドウの糖度を調べます。
どこの農家も同じで、摘んだブドウを缶や小さな容器に入れてつぶして糖度を調べるんですね。どこだったか小型の絞り器のようなもので絞っていた農家もありました。
今日の糖度は9.5度。クレマン(crémant)を作るのには適した糖度は10.5度。少し足りない。
クレマンとは、スパークリングワインのこと。シャンパンと同じですが、シャンパーニュ地方で作られるからシャンパン。シャンパーニュ以外はクレマンと言います。ひょっとしたら製法もちょっと違っているかもしれません。
この村もワインの生産の歴史は古く、1000年以上も続いているそうです。
1564年、この村がストラスブールのサン=テティエンヌ修道院の領地となってから、十分の一税の他に別枠の税として、村は教会に年間5,000~13,000リットルのワインを納入させられていました。
1728年になると、これが3万リットルにはね上がります。
60年後の1789年に起こった革命により領地制度が解体。これを機にヴァンゲンの住民は3万リットルの追加の納入を拒否します。
そして1819年、二人の男が、村が納めるべき3万リットルのワインは追加税ではなく単なる地代であるとして、30年間の未納の分もあわせて村に納入を求めて裁判に訴え出たことから戦いが始まります。
この二人の男がなに者かよく分かりませんが、おそらくぶどう園の所有権でも手に入れたのでしょう。
この戦い、7年以上も続いたそうです。村人たちのがんばりが功を奏し、1827年の一審判決でも、1830年の終審判決でも、村側に軍配が上がりました。
村ではこの勝利を祝って、水飲み場を設置し、毎年7月3日の週の日曜日に、村人や招待客にワインを振る舞うことにしました。
それ以来、ここが村の勝利のシンボルになったのだそうです。もちろん毎年同じ時期にお祭りも開かれています。
中世の頃、ぶどう栽培は金と同じくらい値打ちがあり、ストラスブールの繁栄の大半を支えていたのが、このヴァンゲンのワイン生産であり、あのストラスブール名物の大聖堂も、ほとんどがこのワインから得られる収入によって賄われていたとか。
そして、このアルザス地方のかつての経済のほとんどを支えていたのは、各村にあるワイン農家だったようです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、飲酒運転で裁判所に出廷した。友人や家族がやたら電話してきて判決がどうなったか聞いて来た。誕生日には電話もくれなかったくせに」
VDM (Vie de merde)より
carotte さん、おはようございます。
アルザスは北緯47.5~49度辺りにあるので、北緯43度にある札幌よりも北に位置しているんですね。ぶどう栽培の北限に近いのでしょうね。アルザスのワインを飲む機会は最近、ほとんどなく、今年は1回 (JOSMEYER)飲んだだけです。
by wattana (2011-09-08 08:27)
wattanaさん、おはようございます。
昔、ヨーロッパは日本よりずっと北に位置しているのに、季節風があるためわりに温暖だというようなことを学校で教わったことを思い出しました。フランスのブドウ栽培は緯度からするとこのくらいまででしょうか。それより北となるとドイツのが有名ですね。私もアルザスワインは久しく飲んでいません。今回のシリーズを見ているうちに飲んでみたくなりました。^^
by carotte (2011-09-08 08:54)
水飲み場を設置、というのが面白いですね。この界隈では水も貴重な資源なのでしょうか。
by opas10 (2011-09-11 16:03)
opas10さん
ヨーロッパの集落には広場に水飲み場が設置されていることが多いですね。水は貴重で、少し神聖なものだったのかもしれません。
by carotte (2011-09-11 18:07)