モナリザ [トピックニュース]
リザ・デル・ジョコンドと言えば、あの「モナリザ」のモデルになったとされている女性ですが、イタリアでは、さらなる決定的証拠を求めて調査が続けられています。
下記ウィンドウの▶をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2011年9月5日に放送)(▶をクリックしても該当の映像が出てこない場合や、直接TF1のサイトでご覧になりたい方は→こちら)
リザ・デル・ジョコンドは、1479年、フィレンツェ生まれ。16歳でジョコンド家に嫁ぎ、3人の子供をもうけたのち、1542年か1551年に亡くなったとされています。
この絵のモデルについては、いくつか仮説がある中で最も有力なのが、このリザ・デル・ジョコンドです。
さらに、最近、そのことを裏打ちするような発見がありました。
1503年に出版されたある本の中に、ダヴィンチの友人が「モナリザ」について記述している箇所が発見されたのです。
それによると、当時のダヴィンチは3つの作品を制作中で、その中の一つがモナ・リザ・デル・ジョコンドの肖像画だというのです。(因に「モナ(Monna)」は「マドンナ(Madonna)」の略。仏語なら「マダム」に該当)
いよいよ仮説から事実へと大きく近づいたことになりますが、さらなる証拠を求めて、リザ・デル・ジョコンドの遺骨探しが開始されました。
フィレンツェの歴史センターに保管されている教会の古文書によると、リザ・デル・ジョコンドは、1542年7月15日に死亡。Sant'Orsola修道院に埋葬されたとされています。
この修道院、歴史の流れの中で、修道院から厩舎へ、厩舎から工場へ、工場から駐車場へと変貌をとげていました。
そのため調査は困難を極めましたが、今年4月、調査隊は、40センチの厚みのあるコンクリートの下に地下墓地があるのを発見します。
発掘してみると、いくつかの墓は空でしたが、手つかずの墓があり、完全な姿の遺骨がみつかりました。
一方、ここからそう遠くない教会に、ジョコンド家の墓があります。ここには、リザの息子二人の遺骨が納められています。
となると、ここにある遺骨から採取されたDNAが、コンクリートの下から発見された遺骨のDNAと一致すれば、それはリザの遺骨であると断定できるわけです。
「ひとたび断定されれば、コンピュータを使って、実際にどのような顔だったのかを再現することになっています」と研究者のシルヴァーノさんが熱く語っていました。
実際に顔を再現して絵と比べるのは面白そうですが、これを材料にリザが本当にモデルだと断定するのはいろいろ議論を呼びそうで厳しい感じがしますね。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、考古学者の僕は昔の墓地を発掘していた。発掘したものを確認しながら、通りかかった女の子に微笑みかけたら、向こうもにこっと笑ってくれた。しかし、その直後、きゃっと叫んだかと思うと走り去ってしまった。やっぱり骸骨を持ったままガールフレンドをみつけるのは無理か……」
VDM (Vie de merde)より
carotte さん、「モナリザ」が昭和49 (1974)年に東京国立博物館で公開された時、見に行ったことを思い出しました。(実は、ルーヴル美術館は入館したことがないんです。)
by wattana (2011-09-08 08:39)
wattanaさん
初めて日本に来たときですね。あれが最初で最後でしたっけ?私も行きました。でも、人ごみにもまれ、観た気がしなかったですね。ルーヴルの方がまだ落ち着いてみられます。あそこはあまりに大きくて、目当てのものを探してたどり着くまでにかなり歩き回らなくてはならないから、またそれなりに大変です。
by carotte (2011-09-08 09:22)
フランス人のつぶやき、骸骨を持ったままナンパしても(笑)。考古学者だからモテないなんてことはないですよね、インディ・ジョーンズなんてモテモテでしたから。
by opas10 (2011-09-11 16:10)
opas10さん
そういえば、インディ・ジョーンズは考古学者でした。野性的な感じもありつつ学者というインテリだったみたいなのがいいのかもしれません。
by carotte (2011-09-11 18:18)