ズアブ兵の石像 [パリ]
フランス各地で起きた洪水は峠を越えたようです。
しかし、大きな被害も出ているようでこれからの後始末が大変です。
そしてパリのセーヌ川の水位は、アルマ橋の橋脚にある石像の胸の下あたりで止まって、徐々に水が引き始めています。
このアルマ橋の石像、どんなにセーヌ川が増水しようと、顔色を変えることもなくじっと同じ姿勢で佇んでいます。
それゆえ、増水の際は物差しの役割を果たします。
この石像は何者かといえば、ズアブ兵(Zouave)の石像です。
ズアブ兵とは、北アフリカがフランスの植民地だった時代の1831年に生まれたフランスの歩兵のこと。主にアルジェリア人やチュニジア人で編成されていました。
それがなぜまたアルマ橋の石像になって飾られているのか?
その歴史をひもといてみましょう。
下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧下さい。(フランスのTV局TF1で2016年6月5日に放送)
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こちらがそのズアヴ兵の石像です。今回の増水で観光客の注目を一身に集めています。
この石像が作られたのは今から160年前の1856年のことでした。
それ以来、こんな風に水に浸かることはあっても、溺れてセーヌの水を飲んでしまう、なんてことはありませんでした。
1910年の大洪水の時も頭一つかろうじて水面に出ていました。
この橋と石像の起源を知るためには、1853年に勃発したクリミア戦争に遡らなくてはなりません。
連合軍(フランス、イギリス、オスマントルコ、ピエモンテ遠征軍)は、クリミア半島を流れるアルマ川の岸辺でロシア軍と一戦を交えます。
この時の戦いが “アルマの戦い(bataille de l’Alme)”(1854年)です。
この戦いで連合軍は勝利を収めますが、その最大の功労者がズアブ兵第3連隊だったのです。
このアルマの戦いを記念して命名されたのが1856年に完成したアルマ橋です。
そしてそこに飾られたのが、このズアブ兵の石像です。
輝かしい歴史を持つズアブ兵ですが、この石像のモデルとなった男性はアルマの戦いとはほど遠い人物だったとか。
「このモデルになったのはフランス北部ノール県のグラヴリーヌに住むアンドレ=ルイ・ゴディという男でした。彼は1855年に皇帝警護隊に入隊しており、アルマの戦いには参加してないんです。とは言っても彼はズアブ兵であり、この石像を制作したディーボルトと親しかった人物の兄弟と知り合いだったのです」と専門家。
当初、アルマ橋には、ズアブ兵の他に3つの石像が飾られていました。
しかし、1970年から74年に行われた改修工事でズアブ兵だけが残され、他の3つの石像は別の場所に移されました。
そしてズアブ兵の石像は以前より80センチほど高い位置に持ち上げられ、現在に至っているそうです。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、三人の若者とイケメンの消防士がわが家にやってきた。モテモテだって?とんでもない。洪水の後始末を手伝いに来てくれただけ」
VDM (Vie de merde)より
あの像は歩兵だったのですね。それにしても由来の戦いとは全く関係ない人物がモデルだったとは、意外でした。結構いい加減なところがあるんですね~(笑)
by opas10 (2016-06-11 15:39)
opas10さん
作品を制作するとなるとどうしてもモデルが必要になって、まるで関係ない人が選ばれてしまったんでしょうねえ。歴史を紐解くと意外な事実が出てくるもんですね。
by carotte (2016-06-15 17:02)