キリンのソフィー [メイド・イン・フランス]
メイド・イン・フランスの乳幼児向けおもちゃ“Sophie la girafe(キリンのソフィー)”は、昨年、フランス国内で80万個の売上を記録しました。
昨年、フランスで生まれた赤ちゃんの数が828,000人とのことですから、単純に計算すると、赤ちゃん全員がキリンのソフィーを持っていることになります。
いったいどんなおもちゃなんでしょう?下記写真をクリックして番組をご覧下さい。(2011年5月27日放送)
いたって普通のキリンのお人形なのですが、かじる、たたく、もむ、引き裂く、何でもOKです。そして、手でつかむと柔らかくて暖かい、それが人気の秘密かもしれません。
キリンのソフィーは1961年に生まれ。今年で50周年を迎えます。
ずっと変わらずフランス東部オート・サヴォワ県にある工房で作られ続けてきました。素材はラテックス。1961年5月25日の聖ソフィーの日に生まれたのでソフィーという名前になりました。
背丈18センチのキリンのソフィーは発売当初からよく売れました。それに気を良くした製造元は、ソフィーより少し大きいモナとクレオを作って売り出しましたが、いまひとつぱっとしなかったそうです。
一方、ソフィーは、2009年には38%が輸出用として作られ、世界40ヶ国で発売されたそうです。特にアメリカでの成功が顕著で、2008年にアマゾンで発売が開始されてから売上は右肩上がり。2011年のアメリカでの売上数は50万個近くまで行っいるそうです。
このソフィーがメイド・イン・チャイナにならなかったのは、製品の安全性に力を注いだことが一つの要因だとか。
お店の店員さんも小さい頃には一つ持っていたそうです。そして、自分の子供にも買ってあげたそうです。
フランスでは世代から世代へと伝えられて来た人気のおもちゃです。
双子を出産したばかりのお母さんも、キリンのソフィーを二人の赤ちゃんにプレゼントすると言っていました。
このおもちゃ、日本でも発売されています。発売元のサイトは→こちら。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、母と一緒に子供の頃の写真をみた。母が言った。『あんたが生まれたとき、世界で一番可愛い赤ん坊を抱いてるって思ってたのよ。でも、その後、あんたの妹が生まれたからねえ......』」
VDM (Vie de merde)より
ロイヤル・ウェディング [メイド・イン・フランス]
ロイヤル・ウェディングが無事終了しました。
あのブックメーカーでは、「結婚式の最中に、フィリップ殿下は居眠りをするか?」「女王陛下は何色の帽子をかぶるか?」などのオッズを用意していたようです。そして「花嫁のドレスは何色か?」というのもありました。美しいレースが印象的な純白のドレスでしたね。
これを見て驚いた人たちがフランスにいました。
びっくりしたのはノール県コドゥリーにあるレース工場の皆さんたち。テレビ中継に登場したケイトさんのドレスに、自分たちが作ったレースが使われていたからです(肩から腕にかけてのレース)。下記写真をクリックしてビデオをご覧下さい。(2011年4月29日放送)
工場の名前はAtelier Sophie Hallette。創業1887年の老舗です。
社長さんの話では、注文を受ける時、通常、誰のためのものなのか聞かないことになっているそうです。
工場のサイトを見ると、オートクチュールなどにレースを提供しているようですから、情報が漏れないように気を使うのは当然かもしれません。
工場にイギリスから注文が来たのは数週間前のこと。花や蕾を描いた細かな刺繍入りのレース40メートルの注文でした。この日まで、何に使われるのかは分からないまま製作したそうです。
英国王室の花嫁のドレスに使われたとあって、職人さんたちは皆大喜び。
ここは、あのオバマ大統領夫人のミッシェルさんなどのセレブからも依頼が来るほどの工場ですが、英国王室となればまた話は別です。栄光ある王室の歴史の一翼を担うことになったのですから。
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、彼女に結婚を申し込んだ。返事はノーではなかった。驚くでもなく、うれし涙を流すでもなく、彼女はこう言った。『でも…なんで?』」
VDM (Vie de merde)より
シェルブールの"装甲"雨傘 [メイド・イン・フランス]
フランスで雨傘と言えばシェルブール。しかし、今日、紹介する雨傘は普通の雨傘ではありません。
この傘、映画の中で、若き日の可憐なカトリーヌ・ドゥヌーヴがさしていた傘とはだいぶ様子が違っています。
一見して何の変哲もない黒い傘ですが、実は防護用にもなるというちょっと変わった傘なのです。下記写真をクリックして番組をご覧下さい。
Para Pactum(パラ・パクタム)という名前の付けられたこの頑丈な傘は、十分の一秒で開き、時速168kmの風にも耐えうるそうです。
作ったのは、高級傘で世界的にも知られているシェルブールの傘屋さんVéritable Cherbourg。開発には2年を要したと言います。そして一本作るのに一ヶ月かかるそうです。
布は合成樹脂ケブラー、骨組みはチタン、軸はカーボンファイバー。お値段は、5,000~10,000€。日本円で60万~120万ほど。
警察の精鋭部隊のテストでは、レンガや石、ペタンク用のボール、アイスピック、ナイフ、さらには実弾まで使って、痛めつけられました。ナイフでケブラー製の布を引き裂くのは容易ではなく、獰猛な犬の攻撃にも耐えたそうです。
こうしてテストに合格したPara Pactumを、大統領府が10本お買い上げになったとか。
ところで、風が逆から吹いて来たら、この傘、どうなるんでしょ???
******** フランス人のつぶやき *******
「今日、グルノーブルは雨。私の傘が、すてきな若い女性の傘に引っかかってしまったので私はこう言った。『これも何かの縁ですね』すると彼女が真顔で言った。『いいえ、そんなことありません』」
VDM (Vie de merde)より
がんばるフランスの中小製造業 その5 〜 香水 〜 [メイド・イン・フランス]
シリーズの最後は、香水。
香水と言えばフランス、と昔は決まっていたものですが、最近はこの産業も国際的になってきました。そんな中で、100年以上も続いている老舗の香水メーカーがあります。
工場のあるトゥルーズ(またはトゥールーズ)を訪ねます。
メーカーの名前はPARFUMS BERDOUES。創立は1902年。創業者は、現在の経営者のひいおじいさんにあたるギヨーム・ベルドゥー(Guillaume Berdoues)。
1930年代に二代目が、スミレのブーケからヒントを得て考案した香水「ヴィオレット・ドゥ・トゥルーズ(Violette de Toulouse)(トゥルーズのスミレ)」が看板商品です。上記写真をクリックして番組をご覧下さい。
「ヴィオレット・ドゥ・トゥルーズ」は今も愛され続ける息の長い香水ですが、新しい香りの開発も欠かせません。
香水を作る仕事は、効果的な色を使って絵を描こうとする画家と同じ。開発者は、様々な香りを使って独自の新しい香りを決定します。この決定に従って香料が調合され、それをアルコール溶液に流し込み、よく撹拌したら新しい香水のできあがりです。
工場では毎月25万本が製造されているそうです。さらに、スキンケア用品や石けん、バスジェルなどの商品も作っています。
フランス国内では2,000カ所で、海外では25カ国で販売されているそうです。この中には日本も含まれています。
ナポレオンが大好きだったというスミレは、かつて、頭痛や不眠症などを治す働きがあるとされ、その花や種が航海中の薬として使われた時期もあったそうです。こんな花が見られるようにまでは、まだ2、3ヶ月待たなくてはなりませんね。
「今日、7歳になる娘が自分で作った詩を見せてくれた。スミレについての詩だった。あまりに良く出来ていたので、どうやって思いついたのか聞いてみた。すると娘が言った。『トイレの匂い消し』」
VDM (Vie de merde)より
がんばるフランスの中小製造業 その4 〜 靴 〜 [メイド・イン・フランス]
シリーズの四回目は、靴です。
靴の町として知られるドローム県ロマン=シュル=イゼールの工場を訪ねます。
会社の名前はロール・バサル(LAURE BASSAL)。
創業は1909年。パリとエスク・アン・プロヴァンスにお店があります。数々の危機を乗り越え、生き残って来た会社です。
ロマン=シュル=イゼールに靴産業が根付き始めたのは1850年頃から。1914年には労働者は5,000人にも達し、労働組合運動のきっかけにもなったそうです。
この産業のおかげで町は拡大を続けます。第一次世界大戦、大恐慌時代、第二次世界大戦をくぐり抜け、戦後、さらなる発展を遂げます。当時、世界のあちこちに店を作っていたシャルル・ジュルダン(日本ではシャルル・ジャルダンやシャルル・ジョルダンとも言われています)の影響が大きかったようです。
しかし、オイルショックの影響か、1974年から衰退が始まります。製造の拠点が国内から海外へと移動し、多くの工場が閉鎖されます。その後の25年間で就労人口は4,000人から1,000人にまで減少します。その影響は革のなめし業にも及びました。現在では二軒を残すのみとなっているそうです。上記写真をクリックして番組をご覧下さい。
ロール・バサルは、職人が手作業で、100%フランス製の靴を作るフランス最後の工場だそうです。一日に作る靴は50足ほど。すべて手作りです。買ったお客さんの靴の具合が悪くなることはほとんどありません。
20年前から三代目が経営していますが、5、6歳の頃、よく工場にきていたそうです。毎年、30ほどの新しいデザインを制作します。そのために、あちこちのお店を回ったり、街角を歩く人たちの靴を研究することを忘れません。
平均で一足250€とやや高めですが、お客さんは、高品質で履きやすいと言っていました。
パリのお店はこちらです。
「今日、母が新しいブーツが欲しいというので買い物に付き合った。お店に入ったのが午後2時半、お店を出たのが午後6時半。しかも何も買わないで。念のため、父に相談してから買いたいのだそうだ」
VDM (Vie de merde)より
がんばるフランスの中小製造業 その3 〜パンク修理用パッチ〜 [メイド・イン・フランス]
シリーズの三回目は、自転車のパンク修理用のパッチ。
このパッチを作っている会社がル・マンの近くにあります。
ル・マンから約50キロ南東に下ったところにある町ラ・シャルトル=シュル=ル=ロワールの人口は1500人ほど。
ここに工場RUSTINがあります。
商品の名前は「リュスティヌ(rustine)」と言います。
その起源は1903年に創業者ルイ・リュスタン(Louis Rustin)が、パリにタイアの修理工房を開いた頃にさかのぼります。
1900年頃のフランスは、自転車の黄金期で、100万台ほどの自転車が走り回っていました。しかし、当時の舗装されていない道路ではたびたびタイヤがパンクしてしまったそうです。
ルイ・リュスタンは、1921年にリュスティヌを発明し特許を取得します。
リュスティヌという商品名は、もちろんリュスタンが自分の名前から取って付けたのですが、今やそのもの自体を指す言葉として辞書にも掲載されています。つまり、リュスティヌ=自転車のパンク修理用の丸いゴムのパッチ、というわけです。上記写真をクリックして番組をご覧下さい。
工場の近くを流れる川は、動力と冷却のための水を提供してくれます。
パリからこの地に引っ越して来たのは1933年のこと。当時は、毎月2,800万個ほどのリュスティヌを作っていたそうです。その頃のパッケージデザインがこれ。
これは今も変わらず、そのままのデザインで販売され続けています。そして、ゴムを薄くする機械は創立当時のもので、リュスティヌ専用だそうです。使うのは年に一回だけ。一年分を一度に作ってしまうようです。今年のリュスティヌは赤。どうやら毎年色が変わるようです。
1950年代はこの産業でトップの売上を誇り、1960年代は、自転車レースの一番のスポンサーでした。
現在の社長もルイ・リュスタンですが、こちらは四代目。
ラバーは機械を使って作るとは言え、やはり長いキャリアを持つ職人の腕がなくては難しいようです。その技術は、従業員によって代々受け継がれて来ました。
現在のこの会社の主力は、電車のドアや窓枠など、ジョイントやクッションとして使われるラバーだそうです。リュスティヌで培われた確かな技術は今も生きています。
「今日、自転車で会社に向かった。
700mほど走ってから、
パジャマを着たままだった
のに気がついた」
VDM (Vie de merde)より
がんばるフランスの中小製造業 その2 〜ドアノブ〜 [メイド・イン・フランス]
今週は、人件費のかからない他国で製造されることの多い日用品を、まだまだフランス国内で作り続けている会社を紹介しています。
シリーズの二回目は、磁器のドアノブです。工場があるのは、あのリモージュ焼きで知られるリモージュの郊外の町フェティア(Feytiat)。
ちょっとレトロなドアノブ。リモージュの人たちは、こんなドアノブを見ると、これを作っている熟練工を思い浮かべるそうです。
リモージュ市街から7、8キロのところにあるフェティアは人口6,000人弱の町。
会社の名前はJ.MERIGOUS。創業は1954年。従業員は30人ほど。もともとは磁器職人で、その技術を金物に生かせないかと始めたのがこの工場です。現在は三代目が経営に当たっています。
製造過程は18~19段階に分かれていて、それぞれ熟練の職人さんが担当します。上記写真をクリックして番組をご覧下さい。
昔よりはずっと近代的になりましたが、それでも製造過程のほとんどが手作業です。さらに近代化してリストラした方がいいと言う営業担当者もいましたが、受け入れることはできなかったそうです。家族経営の小さな工場は、丁寧な物作りが大切で、その技術を次の世代に受け継いで行くことが必要と三代目は言います。
部品をきちんと組み立てられるように作り上げるには、思いのほか人の手を必要とするようで、これ以上の機械化は難しいそうです。
ここには大きな販売店の担当者もやってきます。彼らは海外の製品も調査した後、必ずここに戻って来るそうです。
ここでは、ドアノブの他にも調度品の把っ手など、シンプルなものからデザインを加えたものまで、様々な日用品に磁器の技術を応用しています。
「今日、カップぎりぎりまでココアをそそいで、応接間に運んで行く途中、ドアノブに上着の袖口がひっかかり………その後どうなったかはご想像におまかせします」
VDM (Vie de merde)より
がんばるフランスの中小製造業 その1 〜カーラー(ロッド)〜 [メイド・イン・フランス]
少し変わったシリーズを紹介することにしました。
今やほとんどの日用品が主に中国で製造されていますが、まだまだフランスで作り続けている会社があります。そんな中小製造業を5回シリーズで紹介します。
第一回目の今日は、くるくるヘアーには欠かせないカーラー。
オート=ロワール県の村サン=フロンにある工場BIGOUDIS BOSCを訪ねます。
サン=フロンは人口500人ほどの小さな村。ここにフランスでカーラーを作る最後の工場があります。
クロディーとその娘ラシェルが、1960年創業の工場を買い取ったのは3年前のこと。フランスにはカーラーを作っている工場がないと聞いたからです。
今やプラスティックになってしまったカーラーですが、ここのは、昔よく見かけた、螺旋状のバネをナイロン製の網で包んだもの。上記写真をクリックして番組をご覧下さい。
ここでは毎日40,000個のカーラーを作っています。このカーラーの中にはブラシが入っているそうです。ブルーの一番細いのが一般に売られているもの、赤いのは美容院用、大きめのブルーは主に輸出用です。モロッコやアルジェリアなどの北西アフリカ、ベルギー、アメリカなどに輸出しているそうです。
ナイロン製の網は、サン=フロンから20キロほど北西へ行ったところにあるレース工場で作られます。これを工場に持ち帰ってバネにかぶせます。
赤いカーラーは、近くの農家の主婦が在宅の手作業で仕上げます。シャンタルさん、暖かくて居心地の良い自分の部屋で仕事ができ、副収入にもなるので満足だそうです。置き時計を買ったり、ベランダを作ったり、この収入のおかげだそうです。
ここのカーラーは中国製のに比べて2倍は長持ちするそうです。
「今日、ママが、バスローブにピンクの部屋履き、頭にはカーラーをつけたまま学校に迎えにやって来た。昨日、モノポリーで私に負けた仕返しらしい」
VDM (Vie de merde)より